2016年7月22日金曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 7日目

2016年6月24日。
窓を開けると外はやはり真っ白だった。



今日もヘリは来ないと確信した・・・。
ただ、救いなのは船の運航日だということ。
ヘリが来なくても船さえ来てくれれば・・・船さえ来れば脱出できるのだ。

あおがしま丸が運航される日の午前7時に必ず防災無線で、運航か欠航かの案内が流れる。

「本日のあおがしま丸は・・・条件付きでの運航となります」

よかった。条件付きだから油断はできないけど、とりあえずは青ヶ島まで来てくれるのだ。
この放送でどれだけ安心したことか。
島から出られる・・・。その現実が高まってきただけでも負担は軽くなった。

朝食を食べて、いつもの閉じ込められたメンバーと話をする。

「ヘリはダメかもしれないですが、とりあえず船は来るみたいですね」

いつも通りの当たり障りのない無難な会話だが、多分島から出られるうれしさが顔に出ていたかもしれない。
ほかの閉じ込められた皆さんの表情も少し安堵しているように見えた。

部屋に戻ってのんびりしていると、ヘリを運航する東邦航空から電話がかかってきた。
分かってはいたがヘリは欠航とのこと。そして、今日はあおがしま丸が来るのでヘリはキャンセルして、船の方に乗ってくださいとのこと。

結局ヘリには乗れなかったが、悪天候にもかかわらず臨時便を計画していただいたり細かく案内していただいたりと、親切にしていただいてありがたく思います。
乗り物好きとしては人生で初めてのヘリコプターを楽しみにしてたんだけど、それはまた次回に取っておこう。

さて、ひとつ問題がある。
あおがしま丸に乗るためには三宝港まで行かなければならないが、集落から歩くと90~120分ほどかかる。わたしは免許も持っていないから車も借りれない。

図々しいが女将さんに、知り合いで三宝港に行く人がいたら乗せて欲しいと頼んだ。

青ヶ島に来た初日も、女将さんに「本当はうちは送迎やってないんだけどねぇ」と言われつつも女将さんが誰か迎えに行かせると言ったのでその好意に甘えた。
だからまた頼むのは気が引けたんだけど、一人でタイと台湾に行き、そして今回の青ヶ島と、なんだか少しずつ図々しくなって来たのを感じた。
これは成長なのかどうかは分からないけど、大人しい性格の自分からしたら驚くべき変化だ。

あと、船が来るのは12時30分だから腹が減る。
当然チェックアウトが遅れたら追加料金を取られるが、食事する場所もないし誰が連れて行ってくれるかも分からないのでお昼ごはんもいただくことにした。
昼食は通常12時からだけど、それだと船の到着に間に合わないから11時30分ごろに食堂に呼ばれた。




閉じ込められたメンバーはどのようにして港へ行ったのか知らないが、食堂にお客の姿はなかった。一人でいただくお昼ごはんになった。

これでいよいよ青ヶ島での食事も最後になるのだ。
もちろん船がちゃんと来てくれたらのことだが・・・。
青ヶ島に来てから毎日魚ばかり食べてるので肉が食べたくて堪らないが、最後の食事となると魚も名残惜しく感じる。秋刀魚は好物だしな。

確定ではないが島から出られる安心感から、食欲が戻ってごはんをおかわりした。
あぁ、秋刀魚もウインナーも野菜炒めも美味しいなぁ、ごはんがいくらあっても足りないと思いながら食べてたけど、そういえば誰がぼくを港まで乗せていってくれるのだろう。

若い男性従業員に声をかけてみると、多分もうすぐ食堂に来ると言う。
そういえばもう一人分だけお昼ごはんがテーブルに置かれている。

そしたら5分後ぐらいにおじさんが来た。
その人はぼくが青ヶ島に上陸した日に、港から宿まで乗せていってくれた無口なおじさんだった。

おじさんの食べるスピードは半端ではなかった。
完食するのに5分もかからなかったような・・・。
とにかく自分も急いで残りのおかずを食べて宿代を払い、お世話になった宿の方々にお礼を言った。

女将さんが、「やっと出られるねぇ」と言った。

観光地でもないこの島へやってきた物好きな男。
不幸なことに50年に一度の大雨に降られるわ、濃霧で閉じ込められるわで大変だった。もしかしたら若干の憐れみが含まれているのかもしれない。そんな気がした。

急いで部屋に置いてた荷物を持って、おじさんの車に乗った。

話しかけても相変わらずおじさんはひと言もしゃべらないが、ほんのわずかにうなずいたように見えた。よく見ていないと分からないほどの動きだが・・・。
初日、港から宿まで連れて行ってもらったときはうなずくこともなかったのに。おじさんももしかしたら少し心を許したのだろうか。

車は港へ向けて走り出した。

青ヶ島に来たのは4日前のことだが、ずいぶん遠い過去のように感じる。
本当に長かったな・・・。
そして、2泊の予定が閉じ込められて4泊になったけど、それでも別れるとなると青ヶ島が愛おしく感じて仕方がない。



外輪山を越えてカルデラの内部へ入った。
このお富士様こと丸山ももう見ることはできない。
名残惜しかった。見れば見るほどかわいらしい山だ。
もちろん、大昔にこれが噴火して島民の半分以上が亡くなったわけだが。
とにかく、いま見ている景色はまた青ヶ島に来ないことには見ることができないのだ。
インターネットで見ることはできるが、体で感じることはできない。だから名残惜しく感じる。

車は岩壁より一段高くなったところにある倉庫のような建物の前で止まった。
「ここで切符買って」
おじさんがそう言うので中に入ると、窓口には十一屋酒店の女性店員さんがいた。

なるほどなぁ。人が限られている島では、一人で複数の仕事を担当したりするのか。

乗船名簿に名前などを記入して切符を手に入れた。

車に戻ると、坂を下って岸壁の手前にある駐車スペースに着いた。



港ではすでに、フォークリフトが船に積み込むコンテナをせっせと岸壁へ運んでいた。



こんなにうねっている海をぼくは見たことがない。
果たして船は着岸できるのだろうか。
港まで来たのはいいが、着岸できずに引き返すことは珍しくないという。

波がドーンドーンと消波ブロックにぶつかる。
波というのはこんなに迫力のある音を出すのか・・・。
いままで聞いたことのないような音だ。不気味に感じる。

波は時折、消波ブロックをも越えて我々のいる駐車スペースにも飛んでくる。
地面が濡れているところには近づかない方がいい。
岸壁付近でお弁当を食べてた作業員のお兄さんが、波しぶきを被っていた。
びしょ濡れになるほどではないが、確実にお弁当は塩味になってしまったと思う。



12時15分頃、遠くから「プァ~~~」と汽笛が聞こえてきた。
波を被らない程度に岸壁へ近づくと、そこにはあおがしま丸の姿が・・・。
待ちに待ったあおがしま丸がやってきた!

大波によって船は翻弄されている。
しかし、なんとかうねりをひとつひとつ乗り越え、確実に港に近づいてくるあおがしま丸は、このときのぼくからすればかっこいい意外の言葉が見つからなかった。
そして、我々島外の人間からしても、島内の人間からしても希望の星だ。
大げさに言い過ぎたかな・・・。でも、少なくともぼくにとっては希望の星だ。男らしすぎる。



岸壁の手前で船は180度ターンする。
波によって船首が上がっている。



船がロープで係留された。
乗船される方は船の方へどうぞと言われたので、みんなぞろぞろと移動する。
ほとんど閉じ込められて出られなかったメンバーばかりだ。
これから大揺れの航海になるのに、なんだかこの場の雰囲気は軽かった。



船に乗るためにはタラップを船体に引っかけなければならないが、ここが最後の難関だ。
船は上下左右に2メートルぐらいは揺れてるだろうか。
とにかくタラップを引っかけるタイミングがない。波がいきなり静まるとも思えない。
船の乗組員や港の職員たちが、ずっとタラップの両サイドでタイミングを見計らっている。



それは一瞬だった。
大きく揺れてた船も、一瞬ではあるが揺れが収まった。
その隙を突いてタラップが船に掛けられた。
そしてすぐに船はまた揺れ始めた。

よかった。
船は無事に着岸に成功した。
あとは我々が乗るだけだ。

当然だが船が揺れたらタラップも揺れる。
上下だけではなく左右にも揺れる。

転けないように慎重に、かつ素早く乗り込む。



デッキから一枚。
船に乗れたうれしさもあるが、断崖絶壁の孤島を見て、この島を開拓した人々の偉大さを感じずにはいられない。

さて、船に乗ったのはいいが、貨物の積み込み作業などがあるので、青ヶ島で1時間停泊するのだ。つまり、出航まで1時間揺られていてねということだ。当然それプラス、八丈島までの3時間も揺られることになる。



13時30分。船は定刻通りに青ヶ島の三宝港を出港した。
ありがとう、青ヶ島。

余談だが、Twitterで船に乗ったことを報告したら、「おめでとう」というリプライがたくさん届いた。
船に乗っただけでお祝いされる人がいただろうか。



波のひとつひとつがはっきり分かる。
当然船は揺れる。

船室に戻ると乗客のほとんどは寝ていた。
船酔いしないためにもさっさと寝るに限る。
自分は名残惜しいのでしばらく景色を見ていたが、船酔いしたくないので寝ることにした。

乗り物というのは適度に揺れると眠気を誘う。
電車やバスに乗っていて眠くなるのも揺れが心地いいからだろう。

しかしそれも限度というものがある。
この波では仰向けかうつぶせでないと転がりそうになる。
ぼくは横向きで寝る派なんだけどなぁ・・・。



3時間後、八丈島の底土港に到着した。
下船して陸に立ったはずなのに、体がぐらぐら揺れている。

さて、ここまで来たら本土まで一気に帰りたいが、時刻は16時30分。
八丈島から羽田への最終便は間に合わない。
青ヶ島に閉じ込められていた人たちも八丈島で1泊することにしたらしく、タクシーに乗って各々去っていった。

自分は底土港のすぐそばにある、そこど荘という民宿に泊まった。
部屋は広くはないが、とりあえず寝ることができればそれでいいので十分だった。

それにしても、ほかに人影がないので不安になる。
泊まっているのは自分だけだろうか・・・。

とりあえず荷物を置いて、腹が減ったから何か食べに行くことにした。



簡易郵便局があった。



紫陽花も咲いている。



八丈島にあるドコモショップ。
青ヶ島に閉じ込められていた自分からすると、本当に文明的だ。
お店があるだけではなく、道路だってちゃんと上下1車線ずつある。



古いけどおしゃれな形の建物を発見。
1階はお店が入っていました。



とにかく肉が食べたくて仕方なかったけど、八丈島の名物と言えば明日葉なので、明日葉そばを食べに来た。お店は一休庵というところです。
厨房からはカレーのいい匂いが・・・。思わずカレーを頼みたくなった。絶対そば屋さんのカレー美味しいでしょ。
そこは我慢して、ちゃんと明日葉そばを頼みました。



麺にも明日葉が練り込まれているのだが、エビが大きくて嬉しかったので、エビの写真を撮ってしまった。
明日葉自体は爽やかな風味がして、パリパリ食べれて美味しい。



神社がある。
石垣や石段が玉石なのは、青ヶ島も同じだった。
それにしても自分が青ヶ島で50年に一度の大雨に降られ、濃霧で閉じ込められたのは島の神社にお参りしなかったからだろうか。
本来であれば神社にも行こうと思ったんだけど、雨により足場が悪かったので、怪我をしてもいけないからやめておいたのだ。



この玉石を積み上げるのってかなり難しいらしい。



保健所の読み方をそのままローマ字で表記しても、外国の人に通じるのかな・・・。
ちなみに警察署の前にあるバス停は「Keisatsusyo」だった。うーん。



そばだけでは足りないので、スーパーに寄ってみることにした。
小さなスーパーだが品揃えは豊富だった。ちょっとした輸入食品なんかも置いてあった。
たぶん、小さい島だからこそ品揃えを豊富にしておかないといけないんだろうな。細かい需要にも応えるために。



そして・・・スーパーで買ったのは島寿司でした。
ほんと、青ヶ島で食べた島寿司が美味しすぎてまた食べたいと思っていたのだ。
ただ、当然のことだがスーパーのお総菜なので、宿で食べたものよりは味は劣る。
青ヶ島から脱出したばかりなのに、また青ヶ島に行きたくて仕方ない。

さて、八丈島に来たからには明日こそ本土に戻りたいが、八丈島に閉じ込められる可能性も否定できない。
八丈島も青ヶ島同様、霧が発生しやすい。
1日3便ある飛行機も、全便欠航ということも珍しくはない。
まだまだ不安は拭えない。
というか、八丈島まで出てきてしまったが故に不安が大きくなる。
明日こそ本土に戻れるんだと、嫌でも期待してしまう。

不安な気持ちと、明日は晴れることを願って布団に入った。

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