2016年7月25日月曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 8日目・最終日

2016年6月25日。
青ヶ島で2泊の予定が閉じ込められて4泊になったので、脱出した八丈島でぼくは誕生日を迎えた。
霧に包まれていた4日間。それが嘘のように眩しい朝日が差し込んでいる。
最高の誕生日プレゼントになればいいけど。

宿からタクシーで八丈島空港へ向かう。朝一番の飛行機に乗るのだ。とにかく島から出たかった。
それにしてもいい天気だ。余裕で本土に戻れそうだ。そう思った。

タクシーの運転手さんに八丈島の気候について聞いてみたが、八丈島も梅雨時は霧がかかるのだという。そうなると飛行機も全部欠航になることも珍しくないとのこと。

しかし今日は眩しい太陽が出ている。


八丈島空港に着いた。
こんなに小さな空港を見たのは初めてだ。かわいらしい。
荷物を預けて展望デッキに出る。


おかしい・・・。なんだこれは。さっきまでの眩しい太陽はどこへ行ったのか。
髪がボサボサになるほどの強風とともに、忌々しい灰色の霧が山の方から流れてきた。
そして、あっという間に山を覆ってしまった。

胃のあたりが気持ち悪くなる。
まさか閉じ込められないよな。大丈夫、1便目の飛行機が欠航になっても、あと2便残ってる。余裕だ余裕。そう思ったけれど、青ヶ島に閉じ込められたショックというのは自分が思ってるより大きいみたいで、山が霧で隠れている光景はヘリが飛んでこなかった日々を思い出してしまうのだ。


まだかすかに東の空が明るい。それだけでも希望が持てるというか、それにすがりたい気持ちだった。

今回の旅行まで、自分は晴れ男だと思っていた。飛行機が欠航になったこともない。
だから、どの程度で欠航になるのか目安も見当もつかない。



展望デッキで景色を見ていても不安になるだけなので、食堂で明日葉ラーメンを食べる。
麺に明日葉が練り込まれているので緑色だ。

ちなみに自分が乗る飛行機は羽田から八丈島への第1便で、その折り返しが自分の乗る飛行機となる。
スマホを見ると、案の定条件付きの案内が出ているし、自分が乗る飛行機に関しては天候調査中である。
もし飛行機が欠航になったら2便目に変更することはせず、急いで底土港へ行って竹芝桟橋へ戻る東海汽船の船に乗ろうと思う。行きで利用した船の折り返し便だ。竹芝桟橋まで10時間かかるが、飛ぶかどうかも分からない飛行機よりは確実だろう。

ラーメンを食べ終わると保安検査場を通り、搭乗ゲートの前で待つことに。
そろそろ羽田からの飛行機が来る頃だ。

しかし、スマホにとんでもないお知らせが・・・。

「機材トラブルのため、40分遅れで羽田を離陸」

いや、もうすぐ八丈島に着いてないとおかしい時間なのに、つまりまだ羽田を出たばかりってことなのか・・・。

どうも最後の最後までぼくを大人しく本土に戻してくれないみたいだ。
運命というのはそういうものなのだろう。

40分も遅れると困る。
というのも、欠航になった際の代替案である東海汽船に間に合わなくなる。
決断するならもう今のうちに飛行機をキャンセルして港へ行かなければならない。

もうどうでもいいか・・・。
なんだか決断するのも疲れた。
いまなら確実に船に乗れるのだが、億劫で仕方ない。
多分心の底に、飛行機は来てくれるという思いもあった。というか、来て欲しい。


いままで青ヶ島へ飛んでこなかったヘリも、時間通りに八丈島から青ヶ島へ向けて飛び立っていった。ぼくが島から出たらこれだもんなぁ。ほんと、自分は呪われているのかもしれない。何日も来なかったヘリが、自分が青ヶ島からいなくなった次の日には飛ぶんだから。

椅子に座っていても落ち着かない。
そろそろ羽田からの飛行機が八丈島空港に着く頃だ。
搭乗ゲートの窓ガラスに張り付いて外を見る。


ゴオオオオォォォという音が聞こえた。飛行機が目の前を通り過ぎた。
ああっ、よかった。着陸したんだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。

自分は飛行機も好きだから地元の空港で飛行機を眺めたりもするが、この八丈島へやってきた飛行機のかっこよさは、いままで見てきた飛行機のそれとはまた別格のものだった。
この飛行機は青ヶ島に閉じ込められた哀れなアラサー物好き旅行者を助けてくれたのである。

ほかのお客さんの中に、私が青ヶ島に閉じ込められていたなんて知ってる人がいるだろうか。
だれもそんなことは知らないだろう。知る由もない。だが、自分はあまりのうれしさに走り回りたい気持ちだった。これで帰れるぞ!!生きて本土に帰れるのだ!と。



さようなら八丈島。
これで本当に帰れるんだ・・・。妙に興奮して落ち着かない。

今回は青ヶ島へ行くための中継地点として八丈島を経由しただけだが、今度はちゃんと観光します。青ヶ島同様、梅雨の時期以外にね。


飛行機は高度を上げた。
厚い雲の上は鮮やかな青空が広がっている。
毎日これくらい晴れてくれたらな・・・。

八丈島から羽田まではわずか50分の旅だ。
行きは船で約11時間かかった行程も、飛行機なら1時間もかからない。
あぁ、技術の進歩というのは素晴らしいな。しかし、味気ないものだけど。



羽田空港に着陸した。
本当に帰ってきたんだ。家はまだ数100キロも離れているが、本土に戻ってきたことには間違いない。
情けない話だけど、羽田空港に着陸したときに涙が出そうになった。



すごいぞ!モノレールなんてものが走っている。文明を感じる。
青ヶ島に来たときは非現実感がすごかったが、なぜか見慣れたモノレールが非現実的なものに見えた。

東京駅に出たあと、シャワーを浴びるためにネットカフェに入った。
観光する気持ちにもなれなかったので、そこで休憩した。

夜になって、東京に住む友人と焼肉を食べた。





食べたかったお肉・・・。
お肉おいしい。
魚や野菜がありがたい歳になってきたけど、何日もそればかりだと肉にかぶりつきたくなるが、それが叶ったのだ。多少大げさではあるが、本土に戻れたという喜びとともに食べる焼肉というのはいままでの焼肉とはまた違う味わいがある。

自分は冒険家になろうなんて思いはしないが、もしかして冒険家が冒険するのも、家に帰ってきた安心感を味わうためなんじゃないかと思う事がある。

自分が自転車で山の中ばかり走って、気持ちは不安になるししんどいのに、家に帰ったら安心感と達成感を感じるし、もうこんなきついことはやめようと思ってもまた計画を立ててるのだ。


焼肉を食べたあと、散歩も兼ねて歩いて東京駅まで向かった。
この何気ない夜景も、青ヶ島から帰ってきたいまの自分からするとまた違って見える。
こんなにビルが建ち並んでる東京駅周辺。しかし、人口わずか165人ほどしかいない青ヶ島村もまたおなじ東京都なのだ。
住む場所は違えど同じ東京都民であり、日本である。同じ時を生きているし、人それぞれの生活がある。そう思うと日本もなかなか広い国だなぁ。




東京から松山へ帰るなら夜行バスが便利だ。
乗り換えもないし、早朝に着くし。

しかし今回は寝台特急サンライズ瀬戸で帰ることにした。
高松行きなので、途中の坂出で松山行きの特急に乗り換えなければならないし、松山に着くのは10時頃とかなり遅い上に料金も高い。メリットと言えばベッドがあるので横になれることぐらいだ。

でも、寝台列車というのは特別な乗り物で、部屋の電気を消して過ぎ去る街の夜景を見るのは夜行列車だからできる贅沢だ。


22時ちょうど。サンライズ瀬戸は東京駅を発車した。
併走する山手線や京浜東北線を2階の部屋から見下ろすのは楽しい。なんだか良くない趣味だと思うけど・・・。

寝台列車に乗ると悩むのが、「いつ寝るか」ということ。
せっかくの非日常なので、いつまでも景色を眺めていたいけど、夜更かしをすれば翌日がつらい。そのバランスをどうするかが、おそらく鉄道好きなら誰しもが悩むことだろう。

自分は大人しく0時30分頃には寝ました。



朝日が眩しい。
岡山の手前を走っている。
少しずつ心が故郷に近づいてるのを実感する。


岡山を過ぎ、児島を出ると瀬戸大橋を渡る。
穏やかな海。故郷の瀬戸内海だ。


坂出でサンライズ瀬戸とお別れ。
特急しおかぜに乗り換えて松山へ。

ここから先は熟睡してしまい、写真を撮ってないのです。
無事に10時5分、松山に到着。
青ヶ島の旅が終わりました。

帰ってみると安心したけど、また青ヶ島へ行きたいと思ったのも事実だ。
島に閉じ込められて50年に一度の大雨に降られ、散々な目にあったわけだけど、それでもまた行きたい。
今度は太平洋に沈む夕日を見たいし、きれいな星空も見てみたかった。
それに、まだ歩いてない場所もあるので、もっと探検してみたい。
できなかったことがたくさんある。
生きている限りは旅をしていたい。

またいつか会える日まで。
青ヶ島の皆様、いろいろとお世話になりました。
ありがとうございます。

余談だが、帰宅して数日は青ヶ島が恋しくて仕方なかった。
散々な目に遭ったのになぜだ?
突き放されたら余計に恋しくなる感覚と同じなのだろうか。
島に閉じ込められ、精神的にもお財布的にも痛かったが、やはりそれでもまた行きたい。
自分がただの物好きなだけかもしれないが、それを差し引いても青ヶ島には人を引きつける魅力があるのかもしれない。

気軽に青ヶ島いいところだから行くといいよとは勧められないが、興味を持っていただけたならぜひ行くことをおすすめします。


















2016年7月22日金曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 7日目

2016年6月24日。
窓を開けると外はやはり真っ白だった。



今日もヘリは来ないと確信した・・・。
ただ、救いなのは船の運航日だということ。
ヘリが来なくても船さえ来てくれれば・・・船さえ来れば脱出できるのだ。

あおがしま丸が運航される日の午前7時に必ず防災無線で、運航か欠航かの案内が流れる。

「本日のあおがしま丸は・・・条件付きでの運航となります」

よかった。条件付きだから油断はできないけど、とりあえずは青ヶ島まで来てくれるのだ。
この放送でどれだけ安心したことか。
島から出られる・・・。その現実が高まってきただけでも負担は軽くなった。

朝食を食べて、いつもの閉じ込められたメンバーと話をする。

「ヘリはダメかもしれないですが、とりあえず船は来るみたいですね」

いつも通りの当たり障りのない無難な会話だが、多分島から出られるうれしさが顔に出ていたかもしれない。
ほかの閉じ込められた皆さんの表情も少し安堵しているように見えた。

部屋に戻ってのんびりしていると、ヘリを運航する東邦航空から電話がかかってきた。
分かってはいたがヘリは欠航とのこと。そして、今日はあおがしま丸が来るのでヘリはキャンセルして、船の方に乗ってくださいとのこと。

結局ヘリには乗れなかったが、悪天候にもかかわらず臨時便を計画していただいたり細かく案内していただいたりと、親切にしていただいてありがたく思います。
乗り物好きとしては人生で初めてのヘリコプターを楽しみにしてたんだけど、それはまた次回に取っておこう。

さて、ひとつ問題がある。
あおがしま丸に乗るためには三宝港まで行かなければならないが、集落から歩くと90~120分ほどかかる。わたしは免許も持っていないから車も借りれない。

図々しいが女将さんに、知り合いで三宝港に行く人がいたら乗せて欲しいと頼んだ。

青ヶ島に来た初日も、女将さんに「本当はうちは送迎やってないんだけどねぇ」と言われつつも女将さんが誰か迎えに行かせると言ったのでその好意に甘えた。
だからまた頼むのは気が引けたんだけど、一人でタイと台湾に行き、そして今回の青ヶ島と、なんだか少しずつ図々しくなって来たのを感じた。
これは成長なのかどうかは分からないけど、大人しい性格の自分からしたら驚くべき変化だ。

あと、船が来るのは12時30分だから腹が減る。
当然チェックアウトが遅れたら追加料金を取られるが、食事する場所もないし誰が連れて行ってくれるかも分からないのでお昼ごはんもいただくことにした。
昼食は通常12時からだけど、それだと船の到着に間に合わないから11時30分ごろに食堂に呼ばれた。




閉じ込められたメンバーはどのようにして港へ行ったのか知らないが、食堂にお客の姿はなかった。一人でいただくお昼ごはんになった。

これでいよいよ青ヶ島での食事も最後になるのだ。
もちろん船がちゃんと来てくれたらのことだが・・・。
青ヶ島に来てから毎日魚ばかり食べてるので肉が食べたくて堪らないが、最後の食事となると魚も名残惜しく感じる。秋刀魚は好物だしな。

確定ではないが島から出られる安心感から、食欲が戻ってごはんをおかわりした。
あぁ、秋刀魚もウインナーも野菜炒めも美味しいなぁ、ごはんがいくらあっても足りないと思いながら食べてたけど、そういえば誰がぼくを港まで乗せていってくれるのだろう。

若い男性従業員に声をかけてみると、多分もうすぐ食堂に来ると言う。
そういえばもう一人分だけお昼ごはんがテーブルに置かれている。

そしたら5分後ぐらいにおじさんが来た。
その人はぼくが青ヶ島に上陸した日に、港から宿まで乗せていってくれた無口なおじさんだった。

おじさんの食べるスピードは半端ではなかった。
完食するのに5分もかからなかったような・・・。
とにかく自分も急いで残りのおかずを食べて宿代を払い、お世話になった宿の方々にお礼を言った。

女将さんが、「やっと出られるねぇ」と言った。

観光地でもないこの島へやってきた物好きな男。
不幸なことに50年に一度の大雨に降られるわ、濃霧で閉じ込められるわで大変だった。もしかしたら若干の憐れみが含まれているのかもしれない。そんな気がした。

急いで部屋に置いてた荷物を持って、おじさんの車に乗った。

話しかけても相変わらずおじさんはひと言もしゃべらないが、ほんのわずかにうなずいたように見えた。よく見ていないと分からないほどの動きだが・・・。
初日、港から宿まで連れて行ってもらったときはうなずくこともなかったのに。おじさんももしかしたら少し心を許したのだろうか。

車は港へ向けて走り出した。

青ヶ島に来たのは4日前のことだが、ずいぶん遠い過去のように感じる。
本当に長かったな・・・。
そして、2泊の予定が閉じ込められて4泊になったけど、それでも別れるとなると青ヶ島が愛おしく感じて仕方がない。



外輪山を越えてカルデラの内部へ入った。
このお富士様こと丸山ももう見ることはできない。
名残惜しかった。見れば見るほどかわいらしい山だ。
もちろん、大昔にこれが噴火して島民の半分以上が亡くなったわけだが。
とにかく、いま見ている景色はまた青ヶ島に来ないことには見ることができないのだ。
インターネットで見ることはできるが、体で感じることはできない。だから名残惜しく感じる。

車は岩壁より一段高くなったところにある倉庫のような建物の前で止まった。
「ここで切符買って」
おじさんがそう言うので中に入ると、窓口には十一屋酒店の女性店員さんがいた。

なるほどなぁ。人が限られている島では、一人で複数の仕事を担当したりするのか。

乗船名簿に名前などを記入して切符を手に入れた。

車に戻ると、坂を下って岸壁の手前にある駐車スペースに着いた。



港ではすでに、フォークリフトが船に積み込むコンテナをせっせと岸壁へ運んでいた。



こんなにうねっている海をぼくは見たことがない。
果たして船は着岸できるのだろうか。
港まで来たのはいいが、着岸できずに引き返すことは珍しくないという。

波がドーンドーンと消波ブロックにぶつかる。
波というのはこんなに迫力のある音を出すのか・・・。
いままで聞いたことのないような音だ。不気味に感じる。

波は時折、消波ブロックをも越えて我々のいる駐車スペースにも飛んでくる。
地面が濡れているところには近づかない方がいい。
岸壁付近でお弁当を食べてた作業員のお兄さんが、波しぶきを被っていた。
びしょ濡れになるほどではないが、確実にお弁当は塩味になってしまったと思う。



12時15分頃、遠くから「プァ~~~」と汽笛が聞こえてきた。
波を被らない程度に岸壁へ近づくと、そこにはあおがしま丸の姿が・・・。
待ちに待ったあおがしま丸がやってきた!

大波によって船は翻弄されている。
しかし、なんとかうねりをひとつひとつ乗り越え、確実に港に近づいてくるあおがしま丸は、このときのぼくからすればかっこいい意外の言葉が見つからなかった。
そして、我々島外の人間からしても、島内の人間からしても希望の星だ。
大げさに言い過ぎたかな・・・。でも、少なくともぼくにとっては希望の星だ。男らしすぎる。



岸壁の手前で船は180度ターンする。
波によって船首が上がっている。



船がロープで係留された。
乗船される方は船の方へどうぞと言われたので、みんなぞろぞろと移動する。
ほとんど閉じ込められて出られなかったメンバーばかりだ。
これから大揺れの航海になるのに、なんだかこの場の雰囲気は軽かった。



船に乗るためにはタラップを船体に引っかけなければならないが、ここが最後の難関だ。
船は上下左右に2メートルぐらいは揺れてるだろうか。
とにかくタラップを引っかけるタイミングがない。波がいきなり静まるとも思えない。
船の乗組員や港の職員たちが、ずっとタラップの両サイドでタイミングを見計らっている。



それは一瞬だった。
大きく揺れてた船も、一瞬ではあるが揺れが収まった。
その隙を突いてタラップが船に掛けられた。
そしてすぐに船はまた揺れ始めた。

よかった。
船は無事に着岸に成功した。
あとは我々が乗るだけだ。

当然だが船が揺れたらタラップも揺れる。
上下だけではなく左右にも揺れる。

転けないように慎重に、かつ素早く乗り込む。



デッキから一枚。
船に乗れたうれしさもあるが、断崖絶壁の孤島を見て、この島を開拓した人々の偉大さを感じずにはいられない。

さて、船に乗ったのはいいが、貨物の積み込み作業などがあるので、青ヶ島で1時間停泊するのだ。つまり、出航まで1時間揺られていてねということだ。当然それプラス、八丈島までの3時間も揺られることになる。



13時30分。船は定刻通りに青ヶ島の三宝港を出港した。
ありがとう、青ヶ島。

余談だが、Twitterで船に乗ったことを報告したら、「おめでとう」というリプライがたくさん届いた。
船に乗っただけでお祝いされる人がいただろうか。



波のひとつひとつがはっきり分かる。
当然船は揺れる。

船室に戻ると乗客のほとんどは寝ていた。
船酔いしないためにもさっさと寝るに限る。
自分は名残惜しいのでしばらく景色を見ていたが、船酔いしたくないので寝ることにした。

乗り物というのは適度に揺れると眠気を誘う。
電車やバスに乗っていて眠くなるのも揺れが心地いいからだろう。

しかしそれも限度というものがある。
この波では仰向けかうつぶせでないと転がりそうになる。
ぼくは横向きで寝る派なんだけどなぁ・・・。



3時間後、八丈島の底土港に到着した。
下船して陸に立ったはずなのに、体がぐらぐら揺れている。

さて、ここまで来たら本土まで一気に帰りたいが、時刻は16時30分。
八丈島から羽田への最終便は間に合わない。
青ヶ島に閉じ込められていた人たちも八丈島で1泊することにしたらしく、タクシーに乗って各々去っていった。

自分は底土港のすぐそばにある、そこど荘という民宿に泊まった。
部屋は広くはないが、とりあえず寝ることができればそれでいいので十分だった。

それにしても、ほかに人影がないので不安になる。
泊まっているのは自分だけだろうか・・・。

とりあえず荷物を置いて、腹が減ったから何か食べに行くことにした。



簡易郵便局があった。



紫陽花も咲いている。



八丈島にあるドコモショップ。
青ヶ島に閉じ込められていた自分からすると、本当に文明的だ。
お店があるだけではなく、道路だってちゃんと上下1車線ずつある。



古いけどおしゃれな形の建物を発見。
1階はお店が入っていました。



とにかく肉が食べたくて仕方なかったけど、八丈島の名物と言えば明日葉なので、明日葉そばを食べに来た。お店は一休庵というところです。
厨房からはカレーのいい匂いが・・・。思わずカレーを頼みたくなった。絶対そば屋さんのカレー美味しいでしょ。
そこは我慢して、ちゃんと明日葉そばを頼みました。



麺にも明日葉が練り込まれているのだが、エビが大きくて嬉しかったので、エビの写真を撮ってしまった。
明日葉自体は爽やかな風味がして、パリパリ食べれて美味しい。



神社がある。
石垣や石段が玉石なのは、青ヶ島も同じだった。
それにしても自分が青ヶ島で50年に一度の大雨に降られ、濃霧で閉じ込められたのは島の神社にお参りしなかったからだろうか。
本来であれば神社にも行こうと思ったんだけど、雨により足場が悪かったので、怪我をしてもいけないからやめておいたのだ。



この玉石を積み上げるのってかなり難しいらしい。



保健所の読み方をそのままローマ字で表記しても、外国の人に通じるのかな・・・。
ちなみに警察署の前にあるバス停は「Keisatsusyo」だった。うーん。



そばだけでは足りないので、スーパーに寄ってみることにした。
小さなスーパーだが品揃えは豊富だった。ちょっとした輸入食品なんかも置いてあった。
たぶん、小さい島だからこそ品揃えを豊富にしておかないといけないんだろうな。細かい需要にも応えるために。



そして・・・スーパーで買ったのは島寿司でした。
ほんと、青ヶ島で食べた島寿司が美味しすぎてまた食べたいと思っていたのだ。
ただ、当然のことだがスーパーのお総菜なので、宿で食べたものよりは味は劣る。
青ヶ島から脱出したばかりなのに、また青ヶ島に行きたくて仕方ない。

さて、八丈島に来たからには明日こそ本土に戻りたいが、八丈島に閉じ込められる可能性も否定できない。
八丈島も青ヶ島同様、霧が発生しやすい。
1日3便ある飛行機も、全便欠航ということも珍しくはない。
まだまだ不安は拭えない。
というか、八丈島まで出てきてしまったが故に不安が大きくなる。
明日こそ本土に戻れるんだと、嫌でも期待してしまう。

不安な気持ちと、明日は晴れることを願って布団に入った。