-台湾1周の旅-
2016年6月13日、今日は鉄道で台湾を1周する。
帰国日は明日だが、実質今日が最終日のようなもので、最後にして最大の旅となる。
今日の旅のメインは、台湾で唯一残る普快車に乗ること。
普快車は旧型客車を使った普通列車のことで、電車化が進んでいる台湾でも珍しい存在になっている。なくなる前に乗っておきたい。
-6時間かけて台東へ-
台北から台東を経由し、高雄から高鐵で台北に戻る計画を立てた。
本来ならば駅弁で有名な池上駅で降りて駅弁を味わいたかったが、以前も書いた通り、台湾の大型連休に当たってしまって本来乗りたかった列車が満席で乗れない。ほかの列車に変更したが、池上に寄る時間はなくなってしまった。そして、そもそも台湾の東側は列車の本数があまり多くない。それなのにお客は多い。だから、台湾の東側を走る列車は切符を確保するのが大変だ。
台北から台東に向かう自強号に乗る。
台北から台東も電化されているので、電車の自強号が来るのかと思ったらまさかの気動車だった。一度は乗りたかったので嬉しい。
見た目は通勤電車っぽく、特急列車という感じではない。そういうところも惹かれるポイントではある。
車内は日本の特急列車と変わらない通路を挟んで左右2列ずつの座席配置で、普通列車用の気動車と同じく車内中央にこのような仕切りがある。車外からこの部分を見ると、パイプが通っているのがわかる。おそらく排気用のパイプなのかもしれない。
10時ちょうどに台北を発車。終点の台東までは約6時間かかる。
6時間も列車に乗るのは苦痛ではないのか。今まで日本でもさらに乗車時間の長い列車に乗ってきて平気だったので不安に思う必要はないが、6時間も乗るのはしんどくないのか少し心配ではある。
台北を発車して1時間ほどで海に出る。
天気は相変わらず良くないが、雨は降っていない。夏なら青い空と海が広がっているのだろう。また台湾に行くなら、梅雨の時期は避けたいと思う。
私の隣に座っているおばちゃんがいろいろ話しかけてくる。しかし、中国語は分からない。英語で答えてもおばちゃんは分からないみたい。
台湾に来て6日も経つと、下手に英語で話すより日本語の方が通じると分かるので、日本語で話しかけてみた。
そしたら、日本人なのねと分かってはもらえたけど、日本語が話せるわけでもなかった。
終戦から70年以上が経つのだから、そもそも日本語の教育を受けた人も相当な高齢だろう。おばちゃんはどう見ても戦後生まれだ。
お互い言葉もほとんど通じないのだが、おばちゃんはあれこれ話しかけてくる。
言葉は分からないが、車窓から海が見えると「海が見える」とか、山が見えると「山も見える」とか、駅弁を売っている車内販売が来たら、「お弁当売ってるよ?」といったことを恐らく言っているのだろう。人懐っこい感じの人だ。
どこへ行くのか聞かれたので、台湾を1周すると伝えたらびっくりされた。
私が座っている座席は山側なので、海が見えるたびに「海が見えた、写真撮らないの?」という感じのことを言う。
おかげで海の写真をたくさん撮った。
海も好きだが、30分も見ていれば飽きる。しかし、田んぼはいつまで見ていても飽きない。山もある。
台湾は年中お米を作っているので、青々とした田んぼが大好きな私にはありがたい。
しかし、それ故に刈り取られた田んぼと稲がまだ青い田んぼが混在している場合もあって、統一感がなかったりする。
山が険しい。
台湾の東側は平地が少なく、高い山が壁のように連なっている。
田園に椰子の木という、日本ではあまり馴染みのない風景。
台北から3時間ほどかけて12時10分、花蓮(ファーリエン)に到着した。
それなりに大きい街らしく多くの乗客が降りて、その分、新しい乗客が乗ってくる。
私の隣のおばちゃんも降りていった。
代わりに隣の席に座ったのは40代ぐらいの男性で、座るとすぐに駅弁を食べ始めた。
自分も駅弁を買えばよかったなぁ・・・。駅の売店でパンを買ったのだった。それが今日のお昼ご飯である。
相変わらず山と田んぼの風景が続くが、見ていて飽きない。
天気が良いに越したことはないが、低い雲が山をなでるように流れていくのは、それはそれで風情がある。
15時10分、台北から6時間かけて台東に到着した。自強号もお疲れさまです。定刻より15分の遅れだが、6時間も走ってこれなら誤差の範囲内だろう。
台東駅の駅舎は大きい。駅前は工事中で、駅舎全体を収めるためにもう少し下がりたかったが、背後は工事現場だった。
駅舎内はシンプルで、ベンチがあって、隅に売店がある。
次の列車の時間まで駅前をうろうろしようと思ったが、台東という主要都市の割には何もない。
日本でもJRの駅が街の中心部から離れていることはよくあるが、台東駅もそうなのだろうか。そう思ったが、実は1992年に南廻線という台東と高雄のさらに南にある枋寮を結ぶ路線が開通したが、路線は市内中心部にあった旧台東駅を通らず、枋寮を目指した。
台東の中心部に線路を敷くのはお金がかかるだろうし、遠回りになってしまうからだろう。ということなのかどうかは分からないが、現在の場所に台東駅ができ、それまでの台東駅は南廻線の開通後もしばらく残ってはいたが、2001年に廃止された。現在は鉄道芸術村となっている。
次の列車まで台東の中心部に行けるほどの時間はない。
コンコースのベンチで列車の時間を待つ。
よく見てみると、台北とは人の雰囲気も違うように思う。
顔の濃い人が多いように思うが、先住民族の血を引く人たちだろうか。あとは、服装もラフな人が多いし、生活の色が濃いというのもあるかもしれない。
-台湾で旧型客車に乗る-
本日のメインとも言うべき列車に乗る。
台湾ではまだ旧型客車が残っている。数は少なくなったものの、台東~枋寮を1日1往復している。それが本日のメインである。
旧型客車はドアも自動ではないし、冷房もない。日本では観光用として大井川鉄道や津軽鉄道に残るぐらいで、日常的に定期列車として走ってはいない。
台東を16時8分に発車する枋寮(ファンリャオ)行き第3672次普快車の発車10分前になった。
もう改札を入ってもいいのかどうか分からない。とりあえず改札にいる駅員さんに行き先を告げると、入っていいというジェスチャーをされた。
ホームへ上がるとお目当ての列車がすでに止まっていた。
機関車はアメリカ製なので、見た目が厳つい。
列車は3両編成で、先頭がインド製の客車、あとの2両が日本製の客車となる。
これはインド製の客車。
入口のステップが特徴的。
日本製の客車は車両の両端にドアがあり、その間には窓が規則正しく並んでいる整ったデザインで、ここは台湾だが日本の匂いを感じさせてくれる。
ちなみに日本製の客車のドアは手動なので、自分で開けて乗る。インド製の客車は自動ドアになっている。
最後部のデッキは開けっ放しなので、走行中も眺めがよくて風を感じられる。
台湾も日本も窓が開かない車両が多いので、風を感じながら車窓を楽しめるというのは貴重だし楽しい。
ホームとは反対のドアも当然開きます。ロックとかそういうものはありません。走行中でも開けることができるけど、当然だが転落したら大変なことになる。
こういう自己責任な感じも旧型客車を感じられる部分だし、時代背景も感じることができる。昔は客車から転落しても自己責任だった。それが普通の時代だったのだ。
日本製客車の車内はクロスシートが整然と並んでいる。
ビニール張りのシートが安っぽいが、座り心地は悪くない。
インド製の客車の車内は興味がなかったので撮っていない。しかし、あちらもクロスシートだったと記憶している。
16時8分、列車は台東駅を発車した。
終点の枋寮までは2時間12分の旅。乗客は見当たらない。自分だけしかいないのだろうか。
梅雨の時期でじめじめしていて暑いが、窓を開けると風が心地よい。車輪がレールの継ぎ目を踏む音もよく聞こえる。
南廻線は単線非電化の路線かと思っていたが、台東から2駅先の知本まで電化されている。
残りはまだ電化されていないが電化工事は進めているようで、もし枋寮まで電化されたら、さすがにこの普快車も廃止になるかもしれない。
南廻線は台東と枋寮を結ぶ路線で1992年に開通。
この路線ができたことにより、鉄道だけで台湾を1周できるようになった。
台湾の中央山脈を横断するためトンネルが多く、全線の1/3以上はトンネルである。
しかし、1/3以上がトンネルと言っても海沿いを走る区間も多く、知本を出ると海沿いを走る。また、枋寮の手前からも海沿いを走ることになる。
旧型客車でのんびりローカル線の旅を想像していたが、意外と速度を出す。
曇っていてもこれだけ海が青いのだから、晴れていればどれだけ青くなるのだろう。
また台湾に行く機会があれば、晴れの多い季節に行きたい。
南廻線には廃駅も多い。
この写真は富山信号所なので駅ではないが、使われなくなった信号場も廃駅みたいなものである。
新しい路線なのに廃駅がポツポツあるのは、それなりの利用客を見込んで駅を作ったが実はたいして利用客はいなかったということなのだろうか。
大武駅手前から海とはお別れし、いよいよ中央山脈越えに入る。
トンネルばかりなので壮大な山の景色が見られるわけでもない。
窓を開けているとトンネルに入ったときに列車の音がうるさいので閉める。
車内を巡回していた車掌さんが、そのボタンを押せというようなジェスチャーをする。壁にある小さいボタンを押すと、天井の扇風機が回り始めた。古い国鉄形車両ではよく見かける扇風機だ。
長いことトンネルを走っていた。
台湾の鉄道で2番目に長いトンネルである中央トンネルは、長さが8070メートルもある。
そのトンネルを抜け、それほど長くないトンネルを二つほど抜けると枋野信号場に到着。
信号場なので乗り降りはできない。
対向列車の通過待ちのため、しばらく停車する。
犬が信号場の軒下で雨宿りしていた。
さすがにそれなりに雨が降り始めたので、遊びに行けないね。
山奥の信号場は静かで、雨音しか聞こえない。
建物の中を見たら、駅員さんがいた。山奥だし、多分一人で勤務しているのだろう。何もなければ暇だけど、何かあれば忙しい。あくまで私が一人勤務の駅にいたときのことだが。
枋山駅手前あたりから海が見えてくる。
さっきまで山の中を走っていたのにもう海が見える。一気に海辺まで下る。
枋山駅(ファンシャン)は無人駅である。
ここが台湾の鉄道で最南端の駅となるが、恒春線がもし建設されたら、最南端の駅もまた変わることになる。
枋山の街が見える。
荒れているので廃駅かと思ったが、内獅駅(ネイシー)は現役であり無人駅である。
ここまで来るともう山を下り終わって、海沿いになる。
加祿駅(ジアルー)は有人駅だった。次は枋寮だ。
加祿駅を出ると街の灯りが目立ち始め、終点が近いことを知らせてくれる。
2時間12分かけて、終点の枋寮に到着した。
駅舎がおしゃれだ。
枋寮はそれほど大きい街ではないが、駅前にはいろいろなお店が並んでいる。
駅前にあるお店に入り、夕飯をいただくことにした。
食べられるときに食べておかないと、鉄道旅行は食事にありつけないことも珍しくない。
メニューを撮っておけばよかった。これがなんの料理なのかよく分からない。魯肉飯にしては具がしっかりしているような・・・。味も日本の牛丼っぽい感じだった。香辛料の匂いもそれほどきつくなく食べやすい。
これは虱目魚(サバヒー)のスープ。
サバヒーという魚は台湾南部に限らず、東南アジアあたりでもメジャーな魚らしい。日本では食べられることがほとんどないので、とても珍しく感じる。
真っ黒な皮が特徴的な白身魚だ。
皮のあたりに少しゼラチン質な部分があるのか、少しだけムニッとしている。身はとても淡泊な味で、いかにも大衆魚という感じ。日本で言うと鯖あたりのポジションなのかもしれない。
しかしスープの方はあっさりしすぎというか、もうすこししっかり出汁を取らないのかと思う。非常に薄味だ。スープに入っている生姜の千切りをボリボリ食べるのも悪いものではないが・・・。
2品食べて400円もしなかったと思う。
ふらっと入れて値段も安い。
タイに行ったときも思ったが、屋台や路面店がたくさんあるのは一人旅をする者にとってありがたいし、独身男性にとっては暮らす上でも非常にありがたい存在だと思う。
できたての料理を安価に食べられるなんていいよなぁ。
しかし、その国の所得を考えれば、1食300円代でもそれほど安いものではないのかもしれない。
台湾での最後の夕飯を済ませ、外に出たら夜になっていた。
枋寮から高雄の新左營まで莒光号に乗る。
ドアは自動ではなく手動で開ける、古いタイプの客車だった。
外は真っ暗なので何も見えない。
枋寮を19時46分に発車した。新左營までは1時間20分ほど。
新左營から高鐵に乗り換えるが、乗り換え時間が15分もないのでそれだけが心配だった。
しかし、心配するまでもなく列車は定刻通りに新左營に到着した。
明日は帰るだけなので、今回の旅で高鐵に乗るのもこれが最後だ。
ということで、商務車に乗ることにした。
商務車は日本で言うグリーン車のこと。
値段が高いので日本の新幹線でグリーン車に乗る機会はほとんどないが、台湾は物価が日本より安いのでグリーン車に乗ってもそれほど大きな出費にはならない。
新左營(高雄)から台北まで乗っても、9000円もかからないくらいだ。
しかし、台湾の大卒初任給の平均が月10万円ほどなので、それを考えると台湾の人からしたら、商務車は相当贅沢なものになる。
ちなみに商務車に乗ると、無料でコーヒーとお菓子が配られる。
0時頃、終点の台北に到着し、地下鉄でホテルまで戻った。
こうして台湾最後の日が終わった。明日は帰るだけだ。
【続きはこちら↓】
台湾の鉄道に乗りまくったお話 1日目
台湾の鉄道に乗りまくったお話 2日目
台湾の鉄道に乗りまくったお話 3日目
台湾の鉄道に乗りまくったお話 4日目
台湾の鉄道に乗りまくったお話 5日目
台湾の鉄道に乗りまくったお話 最終日