2016年7月16日土曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 6日目

2016年6月23日。島に閉じ込められて2日目の朝を迎えた。
布団から出て真っ先に窓から外を見る。

昨日よりは霧が薄いが、霧に覆われていることに変わりはない。
絶望的な気持ちとともに、今日もヘリが来ない覚悟をする。

今日こそは本土に戻りたい。
それがいまの自分の気持ち。それしかない。
そして焼肉を食べたい。

8時30分。スマホに電話がかかってきた。

「もしもし、青ヶ島ヘリポートですがお世話になります。今日のヘリなんですが・・・欠航となりました」

無慈悲だ・・・。
いくら技術が進歩しようとも、人間は自然に対して無力なんだ。

ただ、覚悟はしていたのでそんなにがっかりはしなかったが、もしかしてこの先もずっと閉じ込められたらどうしよう。お金もなくなったら宿でお手伝いとして雇ってもらって仕事しないと・・・とか思い始める。

航空会社は今日も夕方に臨時便を出す予定だという。
もちろん、霧が晴れなければヘリは来ないのだが・・・。

Twitterでヘリが欠航になったことをツイートしたら、まわりは今日もみうらが閉じ込められてると盛り上がっていた。のんきだなぁ・・・。

やることがない。
ひたすらテレビを見る。

そしてたまに窓から外を見る。
霧はどんどん濃くなっていく。

これはもう夕方の臨時便も欠航かもしれない。

12時になった。
食堂でお昼ごはんを食べる。

食堂で顔を合わせるメンバーはいつもと同じだ。
船は昨日も今日も運行日ではないし、ヘリも欠航だから新しいお客が来ることはないし、帰る予定だった人も帰れないから必然的にいつも同じ顔ぶれになる。

「今日もヘリ欠航ですね~」

そういう当たり障りのない会話をした。
とりあえず誰かと話せば不安な気持ちも紛れる。

部屋に戻ってまたテレビを見る。
いま思えば図書館にでも行って青ヶ島の歴史でも調べればよかったんだけど、そういうのを楽しめる状態ではなかった。
霧はかかったままだから臨時便も来ないと分かっていたが、それでも期待してしまう。
期待してしまえば不安な気持ちも大きくなる。

ヘタレなくせにリスクの大きなところへ行ったりするのはよくあること。
自転車でも誰も走らないような山道ばかり走っては不安な気持ちになってる。
崖から落ちたらどうしようとか、道は続いてるのだろうかとか、そんなことを考えながら走る。
それで山から街へ戻ってきたときの生還したあの気分。それがクセになる。

今回の旅ももしかしたらそういうのを求めていたのかもしれない。
そんなの求めて何が楽しいんだろうと思うけど、自分というものは矛盾だらけだ。

13時過ぎ、台風のような強い風が吹き始める。
このまま島にかかった霧を吹き飛ばしてくれないかって思うけど、それも無理な話だろう。
霧はすごい勢いで流れていくが、晴れる気配はない。

15時30分。再び電話がかかってきた。

「もしもし、青ヶ島ヘリポートですが、夕方の臨時便も欠航になりました」

分かってた。外は真っ白だ。
分かってはいたが・・・落ち込むよねぇ・・・・。
ヘリが飛ぶかもしれないと思って荷物は念のためまとめておいたけど、それも無駄だった。

女将さんに連絡して、もう1泊することを伝えた。

今日も島から出られないのは覚悟していたことだ。
しかし、こうなれば明日は出られるのかという期待と不安が湧いてくる。

明日は金曜日だから船が来る。
ヘリがもし欠航になっても船で帰れる。
もちろん海が荒れなければだが・・・。
さすがにヘリも船も欠航になるような最悪な展開はないだろうと思った。そう思いたかった。

旅をしていると、もう帰りたくないなって思うのはよくあるが、こんなに帰りたいと願った旅はいままであっただろうか。
とにかく帰りたい。故郷の土を踏みたい。
故郷から遠く離れた地へ出征していった兵士はどんな気持ちだったんだろう。
青ヶ島ですらこんなに不安なのになぁ・・・。
そんなことを思いながらテレビを見た。



テレビで港の様子を見る。
岸壁が波にのまれていた。
さすがにこれだけ荒れていたら船は来ない。
明日、ヘリが来ることは当然だが、海も穏やかになって船も来ることを祈った。
と言うか、テレビで港の様子を見るんじゃなかった。不安になるだけだった。

風呂に入って涼んだあと、夕飯を食べるために食堂へ。

「いやぁ、臨時便もダメでしたね」

閉じ込められた人と再び当たり障りのない会話をする。


昨日に比べると余裕が出てきて、ちゃんと夕飯の写真も撮った。
なんだか妙に豪華な夕食だ。これが青ヶ島での最後の夕飯となりますように・・・。

部屋に戻ってテレビを見て、明日こそは青ヶ島から脱出できることを願って布団に入った。

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 5日目

2016年6月22日。今日は青ヶ島を去る日である。
日本でもここだけのヘリコプターの定期便が飛んでいる。
それで八丈島まで帰るのだ。



朝、テレビをつけてヘリポートの様子を見る。
・・・・・・。
真っ白だ。

青ヶ島に1日や2日閉じ込められるのはよくあることだ。
長ければ1週間、2週間閉じ込められた人もいると聞く。

しかし、まさか自分が閉じ込められるとは思いはしなかった。なんとなく自分は無事に帰れる。そうのんきに考えていたのだ。

いや、まだ諦めるのは早い。ヘリを運航する東邦航空の発表を待たなければならない。
結構出発ギリギリまで天候調査をしているようで、搭乗受付開始時刻20分前に電話しても、天候調査中なのでもう少し待ってくれと言われた。



しかし、外を見てもこの濃霧だ。
素人が見てもヘリを飛ばせない状況だと分かる・・・。

スマホに電話がかかってきた。

「もしもし、青ヶ島ヘリポートですが、今日のヘリなんですけど・・・欠航になりました」

分かっていたが、旅行でこれほど落ち込んだことがあるか。
自分は青ヶ島に閉じ込められたのだ。

「まだ決定ではないんですけど、夕方に臨時便を飛ばすかもしれません」

ありがたいことに、閉じ込められた人のために臨時便を出してくれるらしい。詳しいことはまた連絡するとのこと。
宿の女将さんに事情を話して、お昼ごはんを用意してもらうことに。

それにしても酷い雨だ。
耳を塞いでも雨音がうるさい。

大雨だから外へ出るわけにもいかない。
テレビとネットしかやることがない。

ぽちぽちとネットを見ていると、日本はどこもかしこも大雨のようだ。
九州や西日本が特に酷い。
ここでも自分は、まさか自分のいる青ヶ島が大変なことになっているとは気づいていなかった。

青ヶ島の各家庭には防災無線が流れるスピーカーが設置されている。役場などからの放送がはっきり聞こえるようになっている。
そのスピーカーから・・・

「現在、青ヶ島村に大雨特別警報が出ています。避難所を開設しましたので、避難される方は役場に連絡をください。車で迎えに行きます」

と流れ始めた。
大雨特別警報・・・避難勧告・・・穏やかな瀬戸内で育った自分には縁のないものだと思われた言葉。
島に閉じ込められただけでも不安で仕方ないのに、雨の音と防災無線の声が不安を増幅させる。

えっと・・・避難しなければならないのかな??

そう思ったけどほかの部屋の人たちも静かだし、食堂ではお昼ごはんを作っているようだった。
とりあえず部屋で大人しくする。

雨はやがて小降りになった。

気分も落ち着いたら腹が減った。
ヘリに乗る予定だったので、朝食を食べる時間がなかったから朝は何も食べていなかった。
お昼ごはんまで残り何分かずっと時計を見てた。

12時になるとすぐ食堂へ向かった。

仕事できてる人たちも、これだけ雨が降れば仕事はできない。食事しか楽しみがない人たちである。もちろん自分もそうである。

写真を撮ることすら忘れてお昼ごはんを食べた。
食堂のテレビで見たことのある景色が流れていたが、青ヶ島での大雨を伝えるニュースだった。
まさか自分が旅行してるところが全国ニュースで流れるとは・・・。
本当に自分はとんでもない厄でもついていて、下手したら島民が死んでしまうんじゃないかと思い始めた。

腹は減っているはずだったが、喉を通りにくかった。
食事を済ませ、あまり眠れなかったので少し寝たいと思ったが、臨時のヘリが気になって眠れない。

外は相変わらず酷い霧だが、雨は止んだみたいだ。
今のうちに買い物を済ませようと思って外へ出た。







外に出て改めて霧の濃さを思い知った。
こんなに濃い霧は釧路で見て以来だ。
50メートル先もはっきりと見えない。
不安な気持ちになる。雨は止んだがまだ警報は出たままになっている。
気をつけて近くの商店まで歩く。



工事現場も人影はない。
この大雨では何もできないよな・・・。
風に揺れるブルーシートが不気味だった。



怖い・・・。
早くお店に着かないかな。
そう思いながら歩いた。

お店に着いて、食品とお水を買う。
ついでにお店の人に、この時期はこんなに濃い霧が普通に出るものなのか聞いてみたが、やはり
梅雨の時期は霧に覆われることが珍しくないと言う。

「もしかして何日も霧が晴れないこととか・・・?」

「ありますよ」

淡々と話す若い女性店員さんが怖い。
梅雨の時期は船よりヘリの方が欠航が多かったりするのだという。

まいったなぁ・・・。
船は水曜と木曜は島には来ない。
だから、ヘリが欠航になれば必然的に島に閉じ込められることになる。
ヘリが来ないから船で帰るということはできない。
私はヘリの就航率が8割という情報のみを信じて、梅雨の時期の恐ろしさを知らずに来てしまった。

自分は昨日、地熱釜で会った作業服のお兄さんを思い出していた。
あの人たちはギリギリ島から脱出して、多分今ごろテレビで青ヶ島に大雨が降ったというニュースを見て「危なかった」と言っているかもしれない。

島を出られた人と出られなかった人・・・。

霧の中を歩いて宿に戻った。

宿に戻ったところでテレビを見るぐらいしかやることはない。
老人のような生活を体験している。

15時30分、再び航空会社から電話がかかってきた。
聞かなくても分かっている。雨は止んでも外は真っ白だ。
やはり、臨時便も欠航だという。

確定した・・・。
これで今日は島から出られない。
島に閉じ込められることが確定した。

航空会社は明日の早朝に臨時便を出すことを検討しているという。
ありがたく思うが、飛ぶかどうかの不安に耐えなければならない。

宿の女将さんに、臨時のヘリも飛ばないのでもう1泊することを伝えた。

雨は昼頃に止んでから降っていない。
避難勧告も解除され、避難所も閉鎖となった。

17時。やることがないので風呂に入る。
雨で気温が低い青ヶ島だが、湿度は90パーセント以上あるから体感温度は高い。
商店に買い物に行っただけでも汗をかいた。

風呂から出ると、入れ替わりに別の人が入ってきた。
年配の男性で、自分が島に来たときから顔を合わせている。
「もしかして閉じ込められてしまいました?」
と聞いてみると、やはりおじさんも今日のヘリで帰る予定だったみたいで困っていた。
しかし、おじさんはあまり不安に思ってない感じだ。

18時になると夕飯の時間だ。もう食べることしか楽しみがない。
明日の不安からか、写真も撮っていない。
メニューはきんぴらごぼう、大根と練り物の煮物、お刺身、お好み焼きだった。
女将さんが、キャベツをもらってきたのでお好み焼きにしたと言った。
ちょうど味の濃いものが食べたかったのでありがたい。

夕飯を食べ終えたらもうやることはない。

テレビを見るしかないので、ひたすらテレビを見た。
下手をするとテレビを見ない日だってあるから、こんなにテレビを見たのは久しぶりだった。
テレビはあまり面白くなかった。

明日はヘリが飛ぶことを願って、不安な気持ちで布団に入った。
あと、焼肉が食べたい。
本土に戻ったら焼肉を食べるのだ。

2016年7月8日金曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 4日目

2016年6月21日。曇ったり晴れたりな天気で、とりあえず雨は降りそうにない。
今日は青ヶ島を散策することに。

宿を出ようとしたら、女将さんがお昼ごはんを持たせてくれました。

青ヶ島は火山の島です。今でも地表からもくもくと湯気が出てる場所があります。

その湯気を利用して調理ができる地熱釜があるので、そこで蒸す食材を用意してくれました。



曇っているのが残念ですが、海が見えます。
風の音と波の音が素敵です。



集落からしばらく歩くと、島で唯一のお寺である清受寺があります。
神社と言うより民家に見える・・・。



ああっ、なんて綺麗な海なんだ。同じ太平洋でも江ノ島あたりとは全然綺麗さが違うんだなぁ。太平洋は汚いなんてイメージを持っていて申し訳なく思った。
ほんと、曇っているのが残念だ。昨日も言ったけど、今度は晴れてる時期に来たいです。



青ヶ島の集落は全てカルデラの外側、台地になっている岡部地区というところにあります。
目指す地熱釜はカルデラの内側にあるので、このようにカルデラの外輪山を切り込むようにして内側へと入っていきます。



ここが東京都であることを忘れていましたが、「都道」と書かれているので間違いなく東京都です。



カルデラの外輪山を横切り、カルデラの内側へと入ると海は見えなくなりました。そして、お皿に盛ったプリンのような形が特徴の丸山が見えて来ます。地元ではお富士様と呼ばれています。
特徴的な縞模様は自然にできたものではなく、木を一定間隔で植えたらしましまになったとのこと。



平成流し坂トンネルです。右に分かれてる道が元々あった道路ですが、とても狭くて急な道です。

トンネルが苦手な自分はその旧道である流し坂を歩こうと思ったのですが・・・



苔がびっしり。
これは確実に滑る。写真では分かりづらいけど、かなりの斜度です。



覚悟を決めてトンネルを歩くことに。
長さ237メートルの短いトンネルですが、風がびゅーびゅー通り抜けていくので音が不気味です。
さらに素堀でコンクリを吹き付けただけというのがまた雰囲気が出てます。



ダンプとか来たらどうしようとか思いながらトンネルを抜けると、先ほどの丸山がより近く、より低い位置から眺めることができます。
ちなみに、こんなのどかな島にダンプとか走ってるわけないだろって思われるかもしれませんが、至る所で道路や港の修復や改良工事が行われているので、大型車両は結構頻繁に走ってます。



急な坂をずんずん下りながら、カルデラの内部へと進んでいきます。
歩けば歩くほど360度を囲む壁が高くなっていきます。
自分がどんどんカルデラの底に沈んでいくような感覚は、少しの不安と好奇心をかき立てます。
カルデラと言えば阿蘇山を思い浮かべるけど、さすがにでかすぎてカルデラの中心へと沈んでいく感覚は味わえない。小さな火山だからこそ味わえる感覚なんだなと思った。



歩くのを諦めた流し坂と再び合流。
これは歩かなくて正解だったわ・・・。
トンネルができる前は車もこの坂を走っていたんだよな・・・?



坂をひたすら下ります。
下れば下るほどカルデラの外輪山が高く見える。
頂上のあたりは雲がかかっている。





分かりにくいが、草の生えてないところから湯気が出ている。
このように地中から蒸気が吹き出ているところを地元の言葉で「ひんぎゃ」と言う。「火の際」が訛ったものだという。



集落から歩いて90分ほどで地熱釜のある場所に到着。
ちなみに写真の左端に白い建物が見えるけど、地熱を利用したサウナです。
自然のエネルギーを利用してるので、日によってサウナの温度も変わるようです。



想像してたより釜のひとつひとつは小さかったが、一人なので十分だ。



釜の蓋を開けるとかごが入っているので、その中に食材を入れます。
芋、卵、ウインナー、魚の切り身を蒸します。




かごを釜の中にセット。



これ、絶対に忘れないでくださいね。
釜の下にあるバルブをひねってください。そうしないと蒸気が出てこないので。
バルブをひねると、蒸気の出てくる音が聞こえます。
もっと勢いよく出てくるものだと思ってたので本当に蒸すことができるのか少し心配だけど、釜の蓋を開けてみれば確かに熱い蒸気が出ていました。
使い終わったらバルブを閉めてください。

食材を蒸す時間ですが、火の通りやすいものは15分ほど、火の通りにくいものは30~40分ほどでできます。



地熱釜の近くをうろうろ。
はっきりと地中から吹き出る蒸気が見える。

作業服を着たお兄さんと遭遇。
話をすると、仕事で青ヶ島に来ており、今日の船で帰るそうで、船が来るまで暇を潰してたところという。
水曜と木曜は船が来ない日なので、今日船が出てくれなければ困ると話していた。

このときぼくは、半ば他人事のように他愛もない世間話をしていた。
船が来なければ閉じ込められるんだな~と、なんとなく思っていた。



そうこうしているうちに火の通りやすいものは蒸し上がった。
写真には撮っていないが、弁当箱に大きなおにぎりが2個入っていた。



まずは卵からいただきます。
見た目はゆで卵だが食感はゆで卵ではない。黄身も白身もしっかり固まっているが固くはなく、ふわふわした食感だ。
青ヶ島で作られているひんぎゃの塩を付けて食べるとさらにうまい。というか塩もうまい。あれ?塩ってしょっぱいものじゃなかったっけ?しょっぱいけどなんだろうこの旨味。

一人でうまいうまいと盛り上がっているが、アラサーのおじさんが一人でピクニックをしている光景は端から見ると滑稽かもしれない。



30分ほどで芋も蒸し上がった。



芋を割ったら綺麗な金色が・・・。
いくら一人旅とはいえ、テンション上がりまくり。
しかしこの芋、色がジャガイモっぽいけど、味は甘くてサツマイモっぽかった。
ほくほくに蒸し上がっているのは言うまでもない。



芋ふたつにおにぎり2個はかなりきつかったな・・・。
とりあえず、腹を減らすためにうろうろしながら帰ることに。

余談だけど、食後にトイレを借りるために地熱釜の隣にあるサウナのトイレへ行ったんだけど、蛇口から出てくる水が熱かった。水道も地熱で熱せられているのだ。



カルデラの中心にあるのが池の沢集落だが、現在は住んでる人はいない。
このブランコが寂しく佇む空き地も、元々は島庁があった場所である。
島庁があったと言うことは、この池の沢地区が昔の中心地だったのだろう。
しかし今では、火口の近くに住むのは危ないということから現在の岡部地区に住むようになったとのことだが、検索してもなかなかそのような話は出てこない。どこで見たんだろう・・・。

とにかく、集落があったから庁舎も池の沢にあったのだろう。
池の沢地区を歩いていると朽ち果てた家や、ごはんを炊いてたと思われるでかい釜が道端に転がっているのを見かけた。

現在の池の沢地区は住んでる人はいないものの、畑や工場などがあり、多くの人が働いている。





この急な坂を上らないといけないのか・・・。
ほんの少し重力に逆らうだけなのに、それがなぜこんなにしんどいのか。
車もアクセルベタ踏みなのかな?すごいエンジン音とともに上っていく。
たまに静かに上っていく車もあるが、それは電気自動車だ。青ヶ島は電気自動車が多い。



かなり上ってきた。しんどいが達成感がある。



外輪山を越えたため、再び海が見えるように。



島の治安を守る駐在所。八丈島警察署と書いてある。



宿での夕飯は18時から。
とても健康的な時間に夕飯が食べれるわけだが、早く食べれば当然夜に腹が減る。
ちょっと何か買いに行こうと思ってもコンビニなどない。
実は昨日、空腹に耐えながら寝たので、その反省を生かして島で唯一の商店である十一屋酒店に来た。

酒店と言っても、お菓子や野菜、お肉、ちょっとした日用品も売っているスーパー的な存在である。

お会計の時にお店の人が、今ちょうどテレビで船が着岸するのを観てたと言う。
どうやらあおがしま丸は無事に着岸したようだ。
と言うことは、地熱釜で出会った作業服のお兄さんは無事に帰れたということになる。



宿に戻ってテレビをつけると、船はまだ港にいた。
この後すぐに出航していったけど。



そういえば選挙の時期だが、青ヶ島にもこうやって選挙ポスターを貼るための板が設置されていた。



宿で一休みしたら、今度は尾山展望公園に行くことに。



青ヶ島には当然、ダムもため池もないので、水を確保するための取水施設が存在する。



こんな看板初めて見た。



山肌に緑色のシートが張られているが、これが取水施設である。
ここで雨水を集め、浄水して各家庭や施設へと水道管を通じて水が流れていく。



砂利道をひたすら歩く。



尾山展望公園に着いた。
岡部地区が見える。
ヘリポートや学校、自分が泊まっている宿など、集落全体が見渡せる。



そして振り返れば、さっきまでいた丸山と池の沢地区が見渡せる。



地熱釜のあるサウナもはっきりと見える。



曇ってはいるが、自然を感じる素晴らしい眺めだ。
綺麗な景色を見るとなぜか涙が出そうになるんだけど、久々に涙が出そうな風景に出会えた。
なんだか生きてることを実感する。
風がとても強く、頭上の雲は低く、すごい早さで流れていく。
厳しい自然の中で生きてきた人々の歴史があって、その上に今の生活が成り立っているわけだもんなぁ。

しかもこの青ヶ島においては、島が噴火して島民の半分は死に、残った人も八丈島に避難。さすがにこのような大惨事に見舞われたら故郷を捨てて生きなければならないと思うかもしれないが、それでも無人島になった青ヶ島に40年かけて戻ってきた歴史があるんだもんなぁ。人間の逞しさを感じるとか、そういう安易な感想では済ませられない何かを感じる。

ちなみに尾山展望公園からの帰りに台風のような強い風が吹いて、穏やかな瀬戸内海で育った自分はビクビクしながら帰ったのでした。




夕飯は見ての通り、とても家庭的なメニューだ。
ちなみにお刺身は毎晩出てくる。
野菜が多いのもおじさんにはありがたい。

ということで、青ヶ島での2日目が終わったのでした。