2016年6月30日木曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 1日目と2日目

いよいよ青ヶ島への旅が始まる。
まずは地元の松山から東京へ行かなければならない。



乗るのはJR四国バスのドリーム松山号だ。
これで東京まで向かう。

ドリーム松山号はJR四国バスとJRバス関東が運行を担当しているが、JR四国バスの車両にはプレミアムシートがある。



車内から全体が収まるように撮影するのは難しいので、ちょっと分かりにくいがこれがプレミアムシート。
今回はこのプレミアムシートを利用して東京へ向かいます。
座席も150度ぐらい倒れるので、かなり快適に眠ることができる。

バスは定刻の19時20分にJR松山駅を発車。
この時点で自分はまだ青ヶ島へ向かうという実感はなかったし、あんなことやこんなことになるとは思いもしていなかったのだ。

翌朝、バスは定刻より30分ぐらい早く東京駅に着いた。
八丈島へ向かう船が出るのは22時30分なので、とりあえず1日東京で遊べる。




東京の友人と会い、まずは多摩動物公園へ向かった。
新宿駅始発の多摩動物公園行きの電車ってあるんだね。



普段は4両編成の短い電車が高幡不動と多摩動物公園の間を往復しているのだが、さすがに新宿からの直通列車は10両と長い。



やってきたのは多摩動物公園駅のすぐ横にある京王れーるランド。
ここに来てシミュレーターをやるわけでもなく、向かったのは・・・



懐かしさすら感じる初代電車でGO!の筐体である。
これを友人とプレイするためだけに入場料を払って京王れーるランドに入ったのだ。
ちなみに久しぶりにやるとこれが結構楽しい。



京王れーるランドで遊んだあとは立川へ移動してお昼を食べた。
田舎者の自分からするとラーメン1杯1000円もするというのはちょっとびっくり。
味はまずいわけではないし、美味しいんだけど、また来るかと言われたら来ないかも。そんな感じ。

昼食のあとは立川で映画を観ました。



その後、青梅へ移動。
友人曰く、ここに鉄道公園があるとのこと。



青梅の街をぶらぶら歩きながら鉄道公園に向かうのですが、駅を出ていきなり昭和臭の漂うビルを発見。
この活気のなさ。なんとか商売している感じがなんとも言えず好きです。
このような建物や街並みはぼくの大好物で、駅を出ていきなりテンション上がりました。

最近は隣町の河辺や小作の発展が著しいという青梅界隈。
レトロな街並みが残る街をアピールしている青梅だが、作られたレトロではなくガチでレトロな商店などがたくさん残っている。



青梅駅から歩いて20分ほどで青梅鉄道公園に到着。
入園料はわずか100円である。



入園料はわずか100円だが、展示物の種類は蒸気機関車を中心にかなりの数がある。
入園料を考えるとかなりお得な施設だ。



蒸気機関車には興味ないので、古い電車の方が興奮する。うーん、乗ってみたかったなぁ。



なぜさっきの旧型国電は屋根付きなのに、日本の大動脈である東海道新幹線を走った0系は野ざらしなのか、結構待遇の差があるなと思いつつも0系に会えたのは嬉しい。



車内にも入れるぞ!
さすがに0系は実際に乗ったのは1回ほどしかないので、懐かしいとかそういう気持ちは出てこなかったが、今の新幹線に比べるとつくりは全然違うので見ていて面白い。
車内の作りはシンプルだが、このシンプルさって今の東海道山陽新幹線の車両にも受け継がれてるよな・・・としみじみ。



運転席にも入れるのはポイント高い。
大きい鉄道博物館だと運転席には入れない。小さい公園ならではということか。

運転台は見ての通り、とてもアナログだ。
これで本当に250km/hの速度で走っていたのだろうか。
なんだか信じられない気持ちと、この0系が日本を支えたのかという気持ちもあって不思議な気持ち。0系の運転士はどんな気持ちでここに座ったのだろうか。



蒸気機関車は興味がないと言ったが、さすがにこれはすごいと思った。
日本で初めての鉄道が開業した当時に導入された機関車だと書いてある。
日本に鉄道ができて140年以上経つが、それほど古いものが残っているとは・・・。



鉄道公園をあとにして、青梅駅ではなく隣の東青梅まで歩くことにした。
途中、坂の続く踏切があったりと意外にも情緒ある風景が見られた。



踏切を渡ればお寺。
ここが東京都内だというのが信じられなくなるけど、ここでそんなことを思っていると青ヶ島に着いたらどうなるのやら。



後乗りの都営バス。この路線が均一料金ではないことを示す。
都営バスにも地方みたいな後乗りのバスがあることに地味に驚いた。



夕飯はイタリア料理のお店へ。お手頃な料金で美味しい料理をいただきました。また行きたいな。



友人と別れて竹芝桟橋へ。
ここからいよいよ八丈島へ向かう船に乗ります。





普段は最近就航したばかりの新型船である橘丸がこの東京~八丈島航路に就航しているが、今回は残念ながらさるびあ丸だった。



しかし、古いとは言ってもこの東海汽船を代表する船である。
船内は綺麗に整備され、特に不満に思う部分もなかった。
ただ、大型船なのに大浴場がないことには少し残念だった。その代わりにシャワールームがあることにはあるが、さすがに水回りの古さは隠せない感じだった。もちろん綺麗に掃除されてはいるけど。



室内のテーブルに置かれていた本・・・。縁起でもないよなぁ・・・。
ぼくも島流しにされるのだろうか。なんとなく旅の不安をかき立てられてしまったのである。



22時30分。定刻に船は東京は竹芝桟橋を出航した。
船から霧雨の中で輝く東京タワーを見るのは生まれて初めてだと思う。
港というと寂れた風景を想像してしまうが、東京タワーや高層ビルが見えるのはさすが東京といった感じか。





出航してすぐに、レインボーブリッジをくぐる。島流しにされるのかな・・・。
正直なところ、海外へ行くより不安は大きかった。
今までタイと台湾を一人で旅したが、青ヶ島へ行く方が不安が大きかったのだ。
行ったのはいいが島に閉じ込められる可能性もある。帰れない可能性があるというのはかなりのプレッシャーだ。

しかし、とりあえずは明日の八丈島から青ヶ島へ向かうあおがしま丸が運航してくれるかどうかを祈らなければならない。
この船が運航してくれないと、ぼくは青ヶ島へは行けないのだから。
この日は不安を抱えつつ、明日の航海の無事を祈りつつ眠りについた。

2016年6月29日水曜日

日本で一番人口の少ない村、青ヶ島村に行ったお話 出発前

日本で一番人口の少ない自治体は青ヶ島村で、2016年5月現在で人口わずか159人である。
そんな小さな村は東京都にあるというのだから驚きだ。



場所は東京本土から南へ約360kmほど、八丈島の約70km南に位置する。
ここがに日本一人口の少ない自治体、青ヶ島村である。

日本一人口の少ない村というだけでも興味がそそられるが、やはり島自体のインパクトがすごい。
現実離れした見た目に、これは一度訪れなければならないと思わせるのには十分だった。
青ヶ島の画像はこちら

青ヶ島はアクセスの難易度が高い。
まずは八丈島まで行く必要がある。
そこまでは羽田から1日3便飛行機が出ているし、竹芝桟橋から東海汽船の船が1日1本出ている。

問題は八丈島から青ヶ島へのアクセスである。

方法は二つ。

1日1便のヘリに乗るか、こちらも1日1便の船(あおがしま丸)に乗るかである。
それぞれ長所と短所がある。

まずヘリは天候に左右されにくい。少しの風雨では欠航することはないので、就航率も8割ほどと高い。
ただ、1日1便しかない上に定員が9人まで。予約を取るのが大変だ。

予約方法は電話かインターネットでできる。搭乗日の1ヶ月前から予約を受け付けているが、ここでひとつ罠がある。
インターネットを使い慣れた人ならインターネットで予約すればいいかと思うかもしれないが、実は電話予約の開始が1ヶ月前の午前9時からに対し、インターネットは1ヶ月前の昼12時からである。
たった3時間の差だが、定員わずか9人なのでこの差は大きい。
確実に席を取りたいなら電話予約が確実だ。

次に船でのアクセスだが、こちらは予約の必要はない。乗船する際に窓口で乗船券を買うだけなのでお手軽だ。
しかし、絶海の孤島である青ヶ島は波が高い。つまり、船の就航率も季節によってばらつきはあるが、だいたい6割ほどである。
予約の心配をする必要はない代わりに、出航するのかどうかの心配をしなければならない。

私はとりあえず竹芝桟橋から東海汽船の船に乗り八丈島へ。そこからあおがしま丸に乗り継いで青ヶ島へ行く方法をとった。
帰りはヘリで八丈島へ。そこから羽田への飛行機に乗り継いで帰ることに。

ヘリに乗る1ヶ月前、午前9時ちょうどにヘリを運航してる東邦航空に電話したのだが話し中。
何度もかけ直してやっと繋がった。これは満席かと覚悟したが、電話に出たオペレーターに聞いてみるとまだ空席があるとのことで、それほど心配することなく席を確保できた。

その他、松山から東京までの夜行バスと、竹芝桟橋から八丈島へ行く船も予約した。

帰りの飛行機は旅割などの割引運賃は使わず、普通運賃で予約した。
青ヶ島に上陸したのはいいが、天候が悪くて島から出られなくなったという例も少なくない。
割引運賃は変更が利かないので、行程が乱れた場合のことも考えて普通運賃での予約をした。

2016年6月28日火曜日

九州横断ツーリング 3日目

九州横断ツーリング 3日目
いよいよツーリングも最終日。つまり、家に帰らなくてはならない。最後にして最大のミッションが待っている。
道のりは阿蘇から別府まで約100キロちょっと。フェリーの時間が16時45分発。100キロ走るなら走行時間は5時間、休憩2時間の計7時間はかかる。逆算し、さらに余裕も持って8時半には宿を出ることにした。
朝食は昨日と同じかと思った。ほかのテーブルを見ても、昨日と同じメニューが並んでいる。しかし、案内されたぼくの席には昨日と違う料理が並んでいた。連泊だからそのあたり配慮してくれているのだろうか。写真を取り損ねたが、和食でとてもおいしかった。
部屋に戻って荷物をまとめる。



この景色も見納めである。そう思うと名残惜しい。もっと景色を見ておけばよかったなと思う。
部屋を出てフロントに荷物を預け、2日間お世話になった宿の従業員さんにお礼を言ってチェックアウトする。



ルートは国道57号を豊後竹田まで走り、そこから国道502号で三重町、国道326号と国道10号で別府まで行くルートにした。若干遠回りに見えるが、ずっと57号を走るルートに比べて勾配が少ないのと、交通量も少ないだろうという予想でこのルートになった。



最初にして最大の難関である滝室峠を上る。ここさえ超えてしまえば、阿蘇の外輪山を抜けるので下り坂がメインとなるはず。


非常に名残惜しい気持ちで阿蘇の街を見る。滝室峠を越えてしまえば、阿蘇の街は見えなくなる。


地形の険しさが伺える。傾斜もそれなりにある。



宿を出て90分。滝室峠を越える。山の空気がとても冷たい。気温は14度ほど。冬用のジャージを着てきて正解だった。



滝室峠から30分も走らないうちに大分県に入った。さようなら熊本県。また来ます。



豊肥本線の下をくぐる。石積みの橋脚が渋い。



大分県竹田市を過ぎ、国道502号へ入る。交通量はとても少なく快適に走れるのだが、車が少なすぎるのもなんだか寂しく、曇りという天気もあってなんだか不気味である。



コンビニで休憩。どう見ても全国チェーンではないコンビニだ。店内では焼きたてのパンや、お総菜、手作りのおにぎりなんかが売られていてびっくりした。全国チェーンのコンビニなんかより全然いいじゃないか。
このときはたいしてお腹も減ってなかったので、カロリーメイトを2本食べただけだった。



大野川沿いを走る。今にも雨が降りそう。空が重い。



これほどわかりやすいバス停があるだろうか。確かに山奥ではあるが・・・。



犬飼あたりで雨がぽつぽつ降り始めた。本格的に降り始めたら輪行しようと思ったが、別府まであと30キロほどだ。なんとか本降りにならないようにと思っていたらすぐ止んだ。



USA!USA!



犬飼から40分ほど走ると、文明の香り漂う風景が広がってきた。やった、生きて帰ってきたぞ!と思う。しかし旅はまだ終わりではない。



「かんたん」と書かれた標識。いったい何がかんたんなのか。漢字でどう書くのか分からない。



15時30分頃、別府に到着した。船の時間は16時45分だから、かなり余裕を持っていいペースで走れた。ちなみに写真を撮り忘れたが、お昼は豚骨ラーメンだった。



帰りのフェリーは運のいいことに、新造船あかつき丸だった。2基ある煙突がかっこいい。



短距離のフェリーとは思えない豪華さだ。さすが新造船だ。



カーペットが空いていたので、ここでごろごろすることにする。



フェリーは楽でいい。寝っ転がってぼーっとしていれば目的地に着く。列車やバスではそうはいかない。それに、フェリー最大のメリットは自転車を分解せずに乗せられること。電車に乗せるには分解して輪行袋に入れなければならない。その手間が要らないので便利だ。
ちなみに、船でも輪行すれば手荷物となるので、自転車の料金を取られない。だからフェリーでも輪行する人は多いみたいだが、それだとフェリーのメリットを享受できないので、ぼくはいつも自転車の料金を払って乗せることにしている。



フェリーは約3時間かけて、別府から愛媛県の八幡浜港に到着した。港から八幡浜駅は近い。ここからは輪行して帰ることになる。昔は別府から松山に行くフェリーがあったんだけどなぁ・・・。ほんと、不便な時代になった。



特急列車の中は空席ばかり。快適だけどJR四国の利益が気になる。



21時40分頃、松山駅に着いた。夜も遅いと開いてるお店は牛丼屋ぐらいか。私は松屋でご飯を食べて帰ったのでした。

わずか3日間だけでしたが、私に一瞬でも関わってくれた皆様、本当にありがとうございます。おかげで楽しい旅になりました。またお邪魔したいなと思います。