2017年5月9日火曜日

JR四国バス 久万高原線[久万高原~落出]最後の日 2/2

-まずは佐川へ-


2017年3月31日、今日は残念ながら雨だ。
今日でJR四国バス久万高原線の久万高原~落出最後の日だ。
かつて松山~久万~落出~高知を走っていた松山高知急行線の最終日も雨だったという。


JR高知駅は自動改札がある。
伊予鉄道の松山市駅に自動改札があったが、ICカードの普及により撤去されてしまった。


ホームに出てみると、1000形気動車の4両編成がいた。
両運転台だから8つもの運転台があることになる。


私が乗るのは1両編成の窪川行き普通列車。


9時35分に高知駅を発車した。
座席はだいたい埋まるほどの乗客数だった。


実は伊野~高知~後免は土佐電鉄があるので、私鉄が好きな自分は毎回土佐電鉄に乗っている。
だから、こうやってJRの方から土佐電鉄の線路を見るのは新鮮だ。
写真は咥内峠あたりである。
このあたりはきつい峠道だから路面電車にとっては難所で、モーターを唸らせながら坂を上る電車が見られる。


10時49分、佐川に到着した。
落出行きのバスは10時56分発であまり時間がない。急いで乗り換える。

この黒岩観光の佐川~落出の路線は、松山高知急行線の路線を受け継いだものだ。



-バスの旅の始まり-

バスは時間通り、10時56分に佐川を発車した。
乗客は自分を含めてわずか二人だけ。
佐川駅を出てすぐの交差点を右へ。
狭い道路の両端には民家や商店が並んでいる。古い街並みだ。


佐川高校前を過ぎると国道33号に合流します。
これからバスはずっとこの国道33号を走ります。


バスに乗っていると勾配が分かりにくいが、赤土トンネルの手前から徐々に山道らしくなっていく。
この赤土トンネルがある場所が赤土峠で、このあたりが佐川町と越知町の境界になる。

雨脚は強く、写真を撮るのに苦労する。
ワイパーが動いた直後にシャッターを切らなければ、すぐに雨で景色が歪んでしまう。


赤土トンネルを抜けて、高岡郡越知町に入った。

峠道を抜けて越知町の入口である国道東町で一人下車した。
乗客は自分一人だけになった。
お客がいないのは心配だ。

そう思っていたら、次の越知で3人乗車。
自分がこのバス会社を経営しているわけではないのでお客の数を気にすることはないのだが、やはり少しでも乗ってくれた方が安心する。この路線も経営が厳しいだろう。





越知橋を渡ると、越知町の集落から出る。



-山の中へ-

いよいよ本格的な山道に入る。
松山に向かうには、この険しい四国山地を縦断しなければならない。



山には雲がかかっている。

せっかくの最終日、晴れていればよかったのだが天気ばかりは仕方ない。
雨が降る山道も悪くはない。山肌に雲がかかって色彩がなく、水墨画のような趣があるので、それはそれでいい。晴れているに越したことはないが。



倉良と書いて「くらら」と読む。面白い名前だ。



松山まであと85キロもある。近い距離ではない。



仁淀川第3発電所の横を通過する。

国道33号は仁淀川に沿って走っているので、車窓からは川を眺めることができる。
今日は雨が降っていて残念だが、この仁淀川は日本一水質の良い川にもなったことがあり、晴れていれば真っ青の美しい川が見られる。



さすがにバスからではここまでのぞき込むことはできないが、晴れていればこの青さを味わうことができる。

ちなみに仁淀川の源流は愛媛県にあり、愛媛県側では面河(おもご)川という名前になるが、仁淀川も面河川もひとつの川である。





山はさらに険しくなる。
家が斜面に張り付くように建っている。



寺村橋を渡って吾川郡仁淀川町に入る。
そして、寺村橋バス停で一人下車した。



橋を渡ってすぐトンネルに入る。家は相変わらず斜面に張り付くように建っているし、地形の険しさが窺える。



トンネルを抜けると仁淀川が左側に寄り添う。


大崎学校前で一人下車した。
バス停の名前になっている大崎小学校は2014年に廃校となっている。
写真を見ると住宅も商店もある。写ってはいないがこの大崎地区には町役場もある中心知的な場所だが、そういうところでも廃校になってしまうのか。

大崎学校前の次、土佐大崎で二人下車し、一人乗車した。
なんとか乗客が自分だけという状況は避けられた。

しかし、二つ先の引地橋で下車してしまい、ついに乗客は自分一人になってしまった。
運転士さん曰く、落出まで行く人は滅多にいないとのこと。



標高も高くなってきたせいか、霧が濃くなってきた。



名野川集落の手前に赤い橋があった。
濃い霧の中、この橋だけが鮮やかだ。



名野川の集落に入った。
山の中腹あたりに小学校の校舎が見える。
名野川小学校で、2012年に休校となっている。
昔、このあたりは林業や炭焼きが盛んだったという。その頃は多くの人で賑わっていたのだろう。




山に入るとなかなか信号機を見かけない。
久しぶりの信号機に嫌でもテンションが上がる。



名野川の集落を過ぎると、小さなダムがある。
加枝(かえ)ダムという発電用のダムだ。
古そうな見た目に思わず下車して見学したくなるが、一度下車してしまうと大変なことになる。いま乗っている路線は1日2本しかバスが来ない。



松山までまだ71キロもある。



茶畑が見える。
お茶の名産地というと静岡か福岡あたりを思い浮かべるが、意外と山の中に入ると茶畑がたくさんあることに気づく。



大渡ダムのそばを走る。
乗降もないのでバスは飛ばす。だからタイミングよくいいアングルで写真を撮るのが難しいので分かりにくいが、大きなダムだ。
松山市民の私にとってダムといえば石手川ダムだが、それはここまで大きくはない。
ダムの大きさ、そして濃霧のせいか、少し不安な気持ちにさせられる。



また真っ赤な橋が見えてきた。
大渡ダム大橋という吊り橋で、国道33号と対岸の集落を結んでいる。



大渡ダム大橋を通り過ぎると、大尾というバス停を通る。
大尾と書いて「おおお」と読む。
同じひらがなが3文字連続する地名は上大岡(かみおおおか)や大岡山(おおおかやま)がメジャーかと思われるが、単独で「おおお」だけとは・・・。
ちなみに車内放送では「おーお」という感じの発音で、最初の「お」にアクセントを置く感じだった。



大尾を過ぎると対岸には再び茶畑が見える。
茶畑があるのは沢渡集落である。



このあたりから洞門が現れる。

乗ってくるお客もいない。
乗客は自分一人だけ。

運転士さんが、「JRのバスが今日で廃止でしょう?だから最近はうちのバスにも乗ってくれる人がちらほらいるねぇ、カメラで前面からの映像を撮ったりなんかしてるよ、検索すれば見れると思うよ」と話し始める。
実際は土佐弁だったので、聞き取るのに少し苦労した。やはり伊予弁とは全然違うものだ。運転士さんもおじさんなので、なおさら訛りが濃いのかもしれない。

運転士さんに、「この路線もいつか廃止になるんですか?」と聞いてみた。
「うちとしては廃止だね、山間部を結ぶ町営バスも走るし」
と言うようなことを、運転士さんは言った。

このとき、自分がうまく方言を聞き取れなかったので、今すぐには廃止にならないけどそのうち廃止になるだろうというようなニュアンスで捉えてしまっていた。
だから、まさか今日が黒岩観光のこの高吾北落出線が廃止される日だとは知りもしなかった。
厳密に言うと全線が廃止になるのではなく、利用客がほとんどいない上仁淀~落出が廃止になり、その区間は町営バスが週に2回運行するとのこと。
「山間部を結ぶ町営バスも走る」というのはこのことらしい。

週にわずか2回・・・。
JR四国バスの久万高原線、久万高原~落出が廃止になり、町営バスに移管されるだけならまだ松山高知急行線を辿る旅はなんとかできなくもないが、高知県側は週に2便となると、気軽に辿ることはできなくなる。もちろん、バスは趣味のために走っているものではないので仕方がないのだが。

衰退していくのを感じる。
かつては1日に10数往復ものバスが走り、JR四国の鉄道、路線バス全てを含めて唯一、松山高知急行線だけが黒字だったほど賑わっていたのだ。
この松山高知急行線が廃止になり、一部はJR四国バスが引き続き運行、高知県側では黒岩観光が受け継いだ。しかし、それも限界に来て、町営バスに移管されようとしている。いつの日か、その町営バスすらなくなってしまう日も来るのではないかと思う。



愛媛県に入った。
バス停にも「伊予旭」や「伊予折戸」と、旧国名が入るようになる。



寄り添ってきた仁淀川も面河川と名前が変わる。
かなり遡ってきたので巨大な石や岩がゴロゴロ転がっている。



面河第3ダムが見える。終点が近い。



川面は雨でもこの青さ。



本当になんとなくなので根拠もないのだが、県境を過ぎてそれほど走っていないのに愛媛の道だなと感じる。



11時58分、終点の落出に到着した。
運転士さんにお礼を言って降りる。
ぼくの残りの生涯で黒岩観光のバスに乗ることがあとどれくらいあるだろう。今日が最後という可能性は十分にある。
ぼくを降ろしたバスはすぐに車庫の方へと走っていった。
ありがとうございます。



JR四国バス落出駅の外観はこんな感じ。1階は待合室で、2階は乗務員用の宿泊施設になっているのだろうか。
ちなみにJRの路線バスでは、このような待合室などがあるバス停も駅と呼んでいることがあるが、国鉄時代の名残である。
自動車駅と言い、鉄道の駅と同じ業務を行っていたという。
昔はこの落出駅にも駅員さんがいたらしいです。いまは当然、無人駅だけど。



落出駅がある場所は久万高原町だが、ここは平成の大合併以前は柳谷村という村だった。
名前の通り、深く切れ込んだ谷にある村で、平地はほとんどない。村の約9割が山岳である。



柳谷村のメインストリート。
当日はかなり雨が降っていたので散策しなかった。この写真は別の日に撮影したものです。





再び落出駅に戻る。
ここを中心に、意外にもいろんな路線のバスが出ている。
元々はこれも国鉄が運行していた路線バスで、松山高知急行線の支線のようなものだ。
集落はこの落出だけではなく、山中に点在している。



今どきピンクの公衆電話を見かけるとは思いもしなかった。



待合室の半分は座敷になっている。
ここを利用している人はあまり見かけないが、この座敷は一般客でも利用できるスペースだ。
古い漫画が申し訳ない程度並んでいるのが、寂れた村を表しているようで切ない。



明日から運行される町営バスの時刻表も置かれていた。



明日からの町営バスの時刻と、区間が短縮されたJR四国バスの時刻も貼られている。
見た感じ、やはりJRから一部を受け継いだと言うこともあって、接続時間はしっかり取られているようだ。本数も極端に少ないわけでもない。

そういえば待合室でお昼ご飯を食べていたら、さっき乗ってきたバスが折り返しのために戻ってきた。
私と同じ目的だろう。最後の日を楽しもうとバスマニアが二人乗車していった。



発車時刻の数分前、妙な色のバスがやってきた。
なぜか最近、ピンク1色に塗り替えてしまった。以前の白地に青、そしてつばめが描かれている塗装の方が好きだったが、乗ってしまえば塗装は関係ない。関係はないが残念だ。



乗車すると運転士さんからフリーきっぷを買う。
平日1枚1300円だが、松山~落出の料金を普通に支払うと1300円を軽く超えるので、乗り降りしなくてもフリーきっぷを買った方がお得である。

-いよいよ廃止区間へ-

13時5分、落出を発車した。
乗客は自分を含めて3人いる。しかも、地元の人のようだ。
この落出から久万高原までが今回廃止になる区間で、明日から町営バスへと移管される。



ついに廃止区間だ。乗り納めだなと思うが、この久万高原線は何度か乗ったことがあるのであまり気合いが入らない。雨もかなり激しく降っていて、撮影するのもなかなか難しくなってきた。



急カーブも多いが、バスはスイスイ走る。
たまに道路にできた大きな水溜まりをザーザーとはね飛ばす。



高知県側と同じく、斜面に集落が張り付いている。



松山まで49キロメートル。
ここまで来ればあと少しという感じがする。



成川橋を過ぎると集落もなくなる。



御三戸(みみど)まで来た。
ここで久万川と面河川が合流する。
また、平成の大合併以前は美川村だったところで、この御三戸のあたりが役場や学校などがあり、中心部と言えるかもしれない。かもしれないというのは、美川村は集落が点在しており、これと言ってメインとなるような大きな集落がないからである。

少しずつ車も増え始め、バス停ごとに乗客も増えていく。



ちなみにバスの車窓からは御三戸嶽という景勝地が見られる。
当日はあいにくの雨だったし、進行方向右側に見えるので、左側に座っていた私はそもそも見られなかった。だから、写真は別の日に撮影したものです。
この御三戸嶽は軍艦の舳先に似ていることから、軍艦岩とも呼ばれる。
松山から落出へ向かうときは進行方向左側、逆方向なら右側に見える。



御三戸から10分ほど走ったところに梨の下(なしのさがり)というバス停がある。
この近くには美川小学校があるし、集落もそれなりに大きい。乗客を一人乗せ、車内は賑わい始めた。本当に今日で廃止になるとは思えない。車内でも、明日からは町営バスになるのよね?という会話が聞こえてくる。



伊予落合まで戻ってきた。
左に行けば小田深山という、その名の通り深い山の中にある渓谷に行くことができる。
秋には美しい紅葉が見られる。



伊予落合から5分ほどで、久万高原町の街へ入っていく。



車もたくさん走っているし、コンビニまである。
今まで山間の小さな集落ばかり見てきたので、この久万高原町が都会に見える。

さて、久万高原町というと平成の大合併でできた町なので、範囲はとても広い。
この写真に写っているのは元々、久万町という町である。
久万高原町と言ってしまうと、落出駅のあるあのあたりだって久万高原町である。
しかし、なんにしろ久万町は合併前でも人口7000人を超えるほどの町だったので、この周辺の山間部では一番大きな町である。歴史的に見ても、ここが上浮穴(かみうけな)郡の中心地だった。



周囲を高い山に囲まれていなければ、ここが地方都市によくある風景に見える。
2車線の道路に住宅、コンビニ、ホームセンターや飲食店、道の駅もある。

さて、目の前に山が立ちはだかっているが、バスは最後の難所である三坂峠を越えなければならない・・・。と思ったのだが、実は今年(2017年)1月1日のダイヤ改正でルートが変更され、三坂峠を通らなくなってしまった。

三坂峠付近は集落も少なく、乗客が見込めない上に冬になると雪が積もる。雨量規制もあるので、大雨が降れば通行止めになる。
輸送上の障害になるので、バスは2012年3月17日にできた三坂道路を経由するようになった。



13時45分、バスは久万高原駅に着いた。落出へ向かうバスとすれ違う。
これで今回廃止になる区間は乗り終えたことになる。
久万高原駅もその名の通り、落出駅と同じく自動車駅のひとつである。駅舎があり、中にはトイレなども整っている。

ちなみに伊予鉄南予バスもこの久万高原町にバスを走らせているが、伊予鉄南予バスの営業所は久万高原駅とは離れている。
伊予鉄南予バスの営業所はJRのバス停だと久万中学校前が最寄りになる。
また、この久万高原駅に対する伊予鉄南予バスの最寄りバス停は、久万役場前となる。
同じ区間を違う会社がバラバラにバス停を設定してしまうと、このようなややこしいことになる。もっとも、乗り換える人がいるのかどうか不明ではあるが・・・。



5分ほど停車して、久万高原駅を発車。
ちょうど伊予鉄南予バスが2台続けて走ってきた。
丸くて大きい前照灯が特徴の日野レインボーRJである。
詳しくは知らないが、製造から30年ほど経っていると思われる。ちょっとレトロなバスだ。



-山を下る-

久万高原町の中心地を抜け、以前ならこの交差点を直進して三坂峠越えに挑んでいたのだが、先述の通り三坂道路経由になってしまったため、ここで左折する。



三坂道路は自動車専用道路で急カーブもなく、橋とトンネルで山や谷を貫いている。
乗っている方は面白みがないが、ドライバーからすれば急勾配につづら折ればかりの三坂峠を越える従来の道路よりはるかに走りやすいだろう。



三坂第1トンネルは長さが3092メートルもある。
長いな!と思っても入ってしまうとトンネルだから面白くはないし、私はトンネルの天井にある巨大な換気扇か苦手だ。あれを見ていると不安な気持ちになる。



トンネルを抜けてびっくり。濃霧で真っ白だった。
これで事故とか起きないのか不安になるが、運転士さんはプロだし任せるしかない。



三坂道路は従来の国道33号に合流する。高規格の道路は終わりで、ここからは曲がりくねった山道をひたすら下ることになる。



晴れていれば道後平野が一望できただろう。



エンジンを唸らせ、急な坂を下る。
対向車線は登坂車線になっている。
この登坂車線の区間を通過すれば、平野はもうすぐである。



街だ!
佐川を出て3時間ほどしか経っていないが、明らかに山にある集落とは違う、都市と感じさせる街が見える。



山を下り終えた。
道路はこの交差点から上下2車線ずつの立派なものになる。
厳密に言えばこの砥部町もまだ標高が高いのだが、道路が立派な上に、さすがにもう急な坂道はないので山を感じさせる要素はない。

-旅はまだ終わらない-



供養堂バス停を出ると国道33号から別れて細い道へ入る。
おそらくここが昔の国道33号だったのだろう。
新しい道路ができても、なるべく住宅の多い旧道を走るというのは路線バスにはよくある。



森松橋を渡ると松山市に入る。



橋を渡ると駅のような建物があるが、JRの自動車駅ではなく、伊予鉄バスの森松営業所である。



再び国道33号と合流する。
このあたりは1日中、市内中心部へ向かう車で混雑している。



松山インターの入口を過ぎると、混雑も幾分マシになる。



天山交差点で国道33号とお別れ。
国道33号は右へ行きます。バスはこのまま直進します。



また落出行きのバスとすれ違う。



伊予鉄横河原線立花駅のそばを通過する。



天山交差点からはずっと狭い道が続く。
繁華街に続く道なので交通量も多い。



一番町二丁目バス停あたりはもう繁華街だ。



路面電車が走っている通りに出たら、まもなく大街道に着く。



バスはJR松山駅まで行くが、用があった私は大街道で下車した。
中途半端になったが、これで久万高原線の旅は終わった。

おそらくほとんどの人にとってこの日は普通の金曜日だったはずで、まさかJR四国バスの久万高原線の一部が廃止になるとは思ってもいないだろう。
こうしてまた、過疎地域の公共交通が変わっていくのである。